く~にゃん雑記帳

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〈奈良市写真美術館〉 「観仏三昧」3人の仏像写真約120点が一堂に

2024年08月08日 | 美術

【工藤利三郎⋅入江泰吉⋅永野太造】

 入江泰吉記念奈良市写真美術館(奈良市高畑町)で、奈良を拠点に仏像写真を撮り続けた写真家3人の作品展「観仏三昧」が開かれている。その3人は工藤利三郎と入江泰吉と永野太造で、それぞれ約40点ずつ、合わせて120点弱の作品が並ぶ。9月1日まで。

 タイトルの「観仏三昧」は奈良を愛し度々訪れた歌人、會津八一が宿泊した旅館「日吉館」に贈った扁額の言葉。「仏像の研究と鑑賞に専心する」という意味が込められているそうだ。

 工藤利三郎(1848~1929)は明治中期から大正時代にかけて活躍した古美術写真の草分け的存在。出身地徳島から転居した奈良の猿沢池畔に写真館を開業、19年かけて写真集『日本精華』全11巻を刊行した。奈良市写真美術館が所蔵するガラス原板は国登録有形文化財になっている。

 工藤が明治後期に撮った写真には戦後に修理される前の文化財が多く含まれ、歴史的資料として高く評価されている。展示作品にも腕や手首が欠けた興福寺の阿修羅像、光背が不揃いな法華寺の十一面観音像、解体修理前の法隆寺の中門などが。工藤は奈良を拠点に東北から九州まで足を運んだ。中尊寺金色堂の写真も展示中。

 入江泰吉(1905~92)が仏像写真を本格的に撮り始めたのは終戦翌年の1946年から。進駐してきた米軍が賠償物資として文化財を接収する、との噂話を耳にしたのがきっかけだった。展示写真には東大寺法華堂⋅不空羂索観音像の宝冠取り付け作業を終戦直後に撮影したものも。宝冠は1937年に盗難に遭い、その後戻ってきていた。1948年秋に撮った法隆寺⋅金堂壁画の模写風景もある。その翌年1月に起きた金堂火災について入江は「まさに青天の霹靂」と書き残している。

 永野太造(1922~90)は1952年に「奈良国立文化財研究所」が設立されたのを機に長年各地の文化財の撮影に携わった。小林剛⋅彫刻室長からは「仏像を単なる被写体と思ってはならない。仏師の気持ちに少しでも近付くように」と諭されたという。展示中の写真には工藤、入江作品と同じ仏像も含まれるが、撮る角度やライトの当て方などで表情が微妙に異なって見えるのが面白い。永野のガラス原板は帝塚山大学が所蔵している。

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