【大人気の「ちまき投げ」 囃子方に向かって「放って~!」】
湖国の秋を彩る大津祭が7日行われ、13の曳山町から繰り出した曳山13台が「コンチキチン」のお囃子に乗って雅に巡行した。京都・祇園祭の風情に似ているものの、精緻なからくり人形や厄除けの「ちまき投げ」は大津祭ならでは。曳山は江戸時代の前期から中期にかけて創建された年代物で、東海道の宿場町だった大津の商人の経済力と文化力の高さを今に伝えている。
大津祭はJR大津駅のすぐ北側にある天孫(四宮)神社の祭礼。曳山は午前9時すぎ、神社で巡行の順番を確認する「くじ改め」(下の写真左)を受け、からくりを奉納した後、次々に出発。毎年巡行の先頭を行くのは「くじ取らず」の西行桜狸山。祭りの発祥に由来する狸面を持つ鍛冶屋町の曳山で、創建時期も寛永12年(1635年)と最も古い。
曳山は祇園祭の山鉾より小ぶりで、車輪が3輪なのが特徴。だが車輪の直径は1.8mほどもあり、巡行中に軋む音は祇園祭と変わらない。進む方向を修正したり曲がったりする時には前輪を持ち上げる。曳山の後ろを飾る見送り幕など装飾も見どころの一つ。月宮殿山と龍門滝山の見送りは16世紀ベルギー製のゴブラン織りで国の重要文化財に指定されている。
全曳山の屋台前面にからくり人形が据えられているのも大津祭の特徴だ。題材は中国の故事や能・狂言から取ったものが多い。からくりを演じることを「所望」と呼び、町の辻々で自慢のからくりを披露する。所望場所は棒の先に付いた紅白の和紙が目印。からくりを披露する時には巡行中の「コンチキチン」から笛中心のお囃子に変わる。
からくりが終わると、観客から大きな拍手とともに「放って~」「頂戴~ぃ」の大きな声(上の写真左下)。囃子方が乗っている屋台の上に向かって、厄除けのちまきや曳山町のタオルを投げてくれるよう催促するのだ。地面に落ちると奪い合い。曳山は巡行中にも緋毛氈を掛けた2階の窓際に向かって、ちまきなどを投げ込む。それが届かず下に落ちてくるのをうまくキャッチする人も。1階の屋根に落下防止用のネットを張ったお宅もあった(写真右下)。「まるで落ちアユ漁のヤナだな」と中年の男性。中にはちまきを10個近く抱えた小学生高学年?の男の子もいた。
曳山は正午すぎに中央大通りに勢ぞろい。昼休みの休憩を挟んで、夕方暮色が漂うまで巡行し、中心街では終日「コンチキチン」のお囃子が鳴り響いた。各曳山の回りや後ろには「ちまき投げ」を期待してか、最後まで多くの人がぞろぞろ。私もその1人だったが結局おこぼれゼロ。JR駅前ではそのちまきが500円で売られていた。雅な中にも大衆的な雰囲気が漂って、京都の祇園祭とは一味違うお祭りだった。
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