【別名アメリカヤマボウシ、今や春に欠かせない人気の花に】
今年の春も米国の首都ワシントンのポトマック河畔では「全米桜祭り」が開かれ、満開の桜を一目見ようと大勢の人でにぎわった。日本側からその桜を贈ってほぼ100年。ハナミズキはその返礼として初めて日本にやって来た。日本産のヤマボウシに花が似ていることから「アメリカヤマボウシ」とも呼ばれる。
ハナミズキはミズキ科の落葉樹。北米原産で米国ではバージニア州やノースカロライナ州が州の花にするなど人気が高い。4~5月に枝先に白やピンクの4枚の花を上向きに付ける。花びらに見えるのは実は総苞片で、本当の花は頭状花序と呼ばれ中央に球状に集まった黄緑色のもの。秋に深紅色の艶のある実を付け紅葉も美しい。花が淡紅色のものは「ベニハナハナミズキ」という。
ポトマック河畔の桜は明治の終わりごろ、当時の尾崎行雄東京市長がタフト大統領夫人らの希望に応じて贈ったもの。最初に贈ったソメイヨシノ2000本は害虫の発生で焼却処分となった。そのため明治45年(1912年)、改めてソメイヨシノやカンザン、アケボノなどの苗木3100本を贈ったという。ハナミズキはそのお返しとして大正4年(1915年)、米国から東京にプレゼントされた。そして今度はポトマック河畔の桜の子孫が約10年前、日本に戻ってきた。「里帰り桜」と呼ばれ日本各地で大切に育てられている。今年3月には東日本大震災で津波に遭った仙台空港の臨空公園にも「里帰り桜」の子孫が被災地の復興を願って植樹された。
日米の間にはこの間、真珠湾攻撃(1941年)を皮切りに戦火を交えるという悲惨な一時期があった。だが桜とハナミズキはそれを乗り越え、今も日米友好100年の〝しるし〟として花を咲かせ続けているわけだ。6~7年ほど前、一青窈の「ハナミズキ」がはやった。2001年のアメリカ同時多発テロを受けて書かれたそうだが、その中で「君と好きな人が百年続きますように」という歌詞が繰り返される。この印象的なフレーズはどこから生まれてきたのだろうか。
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