三蔵法師
私の同年代の人たちの間では、西遊記!ゴダイゴ!ガンダーラ!→三蔵法師(夏目雅子・男?)→孫悟空(堺正章).....
となる方もたくさんいるのではないでしょうか?(私は昭和45年生まれです。笑)。
埔里から十数キロ離れた日月潭の周遊道路上には、三蔵法師の舎利(お骨)が収められた玄奘寺と言うお寺があります。
三蔵法師の舎利は、最近までコロナ禍の関係で一般参観ができませんでしたが、やっと参拝ができる様になりました。
昨日の事になりますが、久しぶりに ’ 自家用車を運転して ’ (バイクではなく)日月潭をグルッと一周して来ました。
※ここ一ヶ月ぐらい車のエンジンを起動させていなかったので、久しぶりに動かしました。
≪長期間エンジンをかけないと故障やバッテリーに支障をきたす事もあるので≫
玄奘寺の敷地内には、三蔵法師の祈念館があります。
こちらでは、彼(三蔵法師は男)の生い立ちや、天竺からお経を持ち帰る為に旅をしたルート等も紹介されています。
生まれた時の名前は『陳褘』さんで、13歳で出家して法名が『玄奘』になったんですね。
三蔵法師の旅のルートが地図で紹介されています。
彼は天竺(現在のインド)から大量のお経(たぶんサンスクリット語)を長安に持ち帰り、そのお経の翻訳に生涯を捧げました。
お経の中でも最も重要とされた600巻に及ぶ膨大な経典『大般若経』があります。
因みに、天竺への旅の詳細『大唐西域記』を面白おかしく物語りにしたのが、『西遊記』とされている様です。
※出家:欲を断ち切る....。私過去にお寺で一年間生活していて、お坊さん達の生活を身近で見る事ができました(注:私出家してません!)。
厳しい修行の日々。とても、とても私の様な欲の塊の様な人間には真似ができる生活ではないと本当に思いました。
【玄奘寺】
写真はお寺内の一階部分です。 このお寺のメインは3階に奉納されている三蔵法師の舎利です。
昨日はコロナ禍の影響か、私達はお坊さん以外に他の参拝者とは会いませんでした。
お寺内の一階左端の階段から3階へ上がると、舎利が奉納されています。
以下、3階の様子。
この中に三蔵法師の舎利が納められていますが、直に肉眼で見る事ができません。
※赤外線センサーで管理されていて、近づきすぎるとが反応して音が鳴り響きます。(私、鳴らした事あります)。
3階フロアでは、直接に舎利を見る事ができない代わりに、監視カメラの映像で舎利を見る事ができます。
因みに、この舎利は頭蓋骨の右だったか左だったか、以前こちらのお坊さんに教えてもらった事があるのですが、
どちらだったか忘れてしまいました。とにかく頭蓋骨の即頭部です。
1942年(昭和17年)日中戦争当時に、南京市で旧日本軍が玄奘の墓(石棺)を発見しました。
後に、玄奘の舎利は分骨されて一部分を日本軍が日本へ持ち帰り、三学院(埼玉県蕨市)慈恩寺(さいたま市岩槻区)
を経て、最終的にこちらの日月潭にある玄奘寺に移されました(奉納)。
玄奘寺の敷地内には、色々と見物できるものがありますよ。
日月潭の周遊道路では、このお寺沿いの道が最も高い場所になります。
昨日のこの時間帯は夕方で雲も多かったですが、景色はそれなりに楽しめました。