今では霧社は、埔里市内からバスで40分ほどで行ける山の中にある小さな町ですが、昔は原住民族タイヤル族の人たちが居住していた地区です。彼らは今でも『山地人(原住民)』と呼ばれていて、結構自分が『山地人』である事に誇りを持っている人が多いように感じます。(私の友人たちのほとんども)。自分の血筋に誇りを持つって良い事だと思います。私も日本人に生まれて良かったといつも思っています。
以前私はこの場所が大嫌いでした。でも今では、’歴史は歴史’と割り切るように考えるようにして、複雑に考えないようにしています。一つだけ今日でも残念な事は、殺害された日本人のお墓が荒れ放題になっている事です。私個人の思いではどうにもなりません(まさか私が土地を買い取る訳にもいかないので)。何とかならないものでしょうかね。
【霧社事件の名所:襲撃を受けた小学校跡、モナ・ルダオの英雄公園、殺害された日本人たちのお墓。日本統治時代に建てられたとされている神社の鳥居(補足)。
せっかく霧社まで来たので、この先霧社から右に6キロ進んだ地点にある盧山温泉にも行って来ました。因みに左に8キロ進むと清境農場へ行く事ができます。
霧社を遠くから見た様子。
今回も’良い湯’でした(PS:他の客と会う事がなかったので貸切状態でした)。