【武界・法治村内】
お土産屋さん
法治村部落には、正直’食堂’が非常に少ないです。
私たちが訪れた日は、平日だったので余計に食事ができる場所が少なくて、色々と探した結果こちらの土産物屋さんで猪肉のソーセージと糯米をいただきました。
私は何度も訪れているお店なので、お店の人が私の事を覚えていたみたいです。
原住民部落と言っても、大昔の様に民族衣装を普段から来ている人がいる訳ではなく、普通に現代人の恰好をしています。
私がいつも大笑いしながら見ているのが、現在でも受け継がれている東部等で行われている ’ 豊年祭 ’ 等のイベントで踊っている人たちの恰好です。
観光客向けに民族衣装を纏って踊っているのはわかりますが、 ’ 靴 ’ 何とかなりませんかね?
アディダス、ナイキ、ニューバランス、アシックス.............
運動靴が動きやすいのは理解できますが、私いつもどこの靴のメーカーが人気があるのか気になって仕方ないですよ。
皆で同じ靴にしたり、せめて色を揃えるとかしてほしいなと個人的には思います。
村の外れには雨の後に何か所かの小さな滝が臨時で出現します。
この法治村部落を抜けて、更に山奥にある ’ 日本人村跡地 ’ を目指します。
このトンネルは狭いので、車が一台ずつ順番に通り抜ける様にしています。
【以下、日本人村があった場所の現在の様子】
以下、上記写真拡大。↓ ↓ ↓ ↓ ↓
この写真の場所ですが、川の底に ’ 日本人村 ’ が沈んでいます。
’ 吊り橋の橋桁 ’ が川から突き出しているのが見えます。
日本統治時代、日本の鹿島建設の人たちが中心となって武界法治村内に武界水庫(ダム)を建設しました。
彼らは、こちらの日本人村で生活をし、建設現場へ通っていたそうです。
私の友人(故、山根氏)は、当時こちらの日本人村で警察官として派出所に勤務していました。
当時上からの命令で、この辺りの事を書面にまとめる様に言付かって’まとめた資料’があります。
私も一冊頂いたので、宿の本棚に並べてあります。(興味のある人は閲覧可能ですよ。)。
学校、警察署、神社等もあります。
興味深いのは、上の写真にも写っていますが、 ’ 吊り橋の橋桁 ’ が川から突き出している部分です。
以前山根さんから直接聞いたのですが、この ’ 吊り橋の橋桁 ’ の五十メートルぐらい下に’日本人村’が沈んでいると言っていました。
この辺りの川は何度も氾濫して、住民たちは余儀なく移住を繰り返してきました。
現在では、ここから更に下流になる場所の’萬豊部落’と言う場所で落ち着いています。
山根さん、良い人だったなあ。
私に会う為に埔里にわざわざ遊びに来てくれた事もありました。懐かしい思い出です。
を読了しました。原住民の方々のこの部落と山根氏の地図を拝謁しに訪台したいと思います。