あの沼河比売の乳母か誰かが言った歌ではにかと前には書いたのですが、須勢理毘売がオホクニに歌った歌は、傍には乳母などような人もいませんので、本人の本心から出た言葉ではないかと考えられます。そのような大変卑猥な言葉がよくも口を附いて出たのだと感心するばかりです。
”曾陀多岐<ソダタキ> 多多岐<タタキ> 麻那賀理<マナガリ>”
です。
「曾陀多岐<ソダタキ>」は、前にも書いたように、その胸を「そろりと優しく叩き」。そして、「乳房を撫でまわしながら互いに抱きあいましょう。」と云う意味だと宣長は説明しております。発禁になりかねないような、大変、卑猥なる言葉が、2度も使われているのです。余程、この言葉が稗田阿礼には気に行っていたのでしょうかね?????
またまた話が反れますが、今朝の新聞コラムに、白根山の噴火に関連付けて、寺田寅彦の話として、「とりわけ、スサノウの神話について『火山現象を如実に連想させるものがはなはだ多い』と書いている」とありますが、それよりも、むしろ、その真実性をより深く感じさせる日本における火山活動とその災害の歴史的関連を物語るお話としては、今私が書いている「オホクニ」の話、あの八十神が山から火の玉を転がしてオホクニを焼け殺す話の方がより適切な話になるのではないでしょうかどうでしょうかね。「天声人語さん」???