須瀬理毘売が差し出した盃を受け取って、二人は永遠の愛を誓う「ウキユヒ」をします。総て約束事をしっかりと固めるために盃にお酒を入れ飲み交わす儀式を「ウキユヒ」と言ったのです。此の時に使ったお酒は、現在のようなお米から作られたものでしょうか???此の二人が、盃を交わしたのはオホクニヌシの時代です。神武天皇より、まだ数代も前の時代の話です。ちなみに、此の神武天皇が生まれた年は、一説によりますと、BC712年だと言われておりますが、それを考えると、お米が作られだしたのが弥生時代とされていますので、この神武天皇が生まれたのは縄文時代には米などあるはずがなく、米から醸造されたお酒ではなかったのかとも思われrのですが。どうでしょう????野ブドウや黍などからできていたお酒だったのかもしれませんね。
なお、予断事ですが、最古の日本に酒があったと記されているものと云えば、中国の「魏誌倭人伝」を上げなくてはなりません。この本によりますと、日本人の生活習慣として
”喪主哭泣他人就歌舞飲酒”
と書かれてありり、「葬儀の時、喪主はわいわいと声を上げて泣き、参列している人々は踊ったり歌を歌ったりしながらお酒を飲んでいる」という意味です。更に
”人性嗜酒”
とも書かれており。「人々は大変な酒好きだ」ったということが分かります。
なお、此の魏誌倭人伝に出てくる卑弥呼が使いを魏の国に遣わしたのは、AD239年の事だとされていますので、此処に出てくるお酒はお米から作られたものではないかと思いますが。兎に角、いつの時代からかは不明ですが、酒が日本人の生活の中で欠かすことができない物になっていたと言う事が分かります。 そんな当時の人々の生活習慣として、この「オホクニヲとその妻の物語」によって云い表されているのです。
此れも、又又余残事ですが、あのスサノヲが大蛇を退治した時のお酒は何から出来ていたのでしょうか。オホクニの父がスサノヲですから余計に話が複雑になってきます。日本中どこにも、出雲にもです、当然、当時は米は作られておらず、従って、酒など造られるはずがなく、だから、大蛇退治は出雲での話ではいとする人もいるようですが????
では、どこのお酒????それを吉備の国の黍から作られたのだ、だから、オロチ退治の話は黍の国の話だとする人も江戸時代にいたようです。これについて宣長はきっぱりと否定していますが。でも、魏誌倭人伝の「お酒」はお米からできていた物に間違いはありません。念のために。