今朝の新聞によると
“何人死んだ”
と云う国会でのヤジが問題になったと報道されております。一方、一面に掲載されている鷲田清一氏の「折々のことば」には
“あつまれ”
と云う二歳児の言葉が紹介されております。此の二人の言葉ですが、考えてみますと、たった七字と四字の違いですが、その中にある言葉の意味は天と地の違いがあるように思われます。このどちらも、そんなに深く考えないで、その時に、とっさに口を衝いて出てきた思い付きの言葉だとは思いますが。皆さんはどう思われますか???
前者の方は何の説明も要らないような、誠に幼稚な子供じみた短慮な考え方しかできない脳天気な者が言う言葉ですが、その言葉に対して、“あつまれ”と云う言葉の中にあるものは、誠に、真剣な研ぎ澄まされた清らかな心が精いっぱいに発せられた時の言葉です。
”ぼくのとくらべないで”
と、お叱りを受けるかもしれませんが、言葉の持つ意義は大変重いのです、軽々しく例えヤジであろうと慎重にすべきことは言うまでもありません。私の平生の言動を痛く反省しながら書いております。
ことばって大変な働きがあるものですね。人がこの言語を話すようになったことが世界の文明を生み育てたのですから。
そんな意味を含めて、「言葉を大切に」と云う事を訴えたのが、今、書いている古事記の中に書かれている「沼河比売」と「須勢理毘売」の恋の歌なのではないでしょうか。
「人をほめるのはいい事ですよ、それが人の世を平和にさせる第一の条件ですよ」と。
そんなことを考えると、あのトランプ氏の言動はどうでしょうかね。亦、我が安倍さんのは???
乞う!!!ご批判