私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

わたしのジャズと云えば

2018-01-28 12:10:20 | 日記

 もう60年も前の話になるのですが、丁度、大学生の時代です。当時、ジュデイー・ガーランドやアームストロング等の歌手がアメリカで人気を博していた時代です。でも、岡山の、それも山ん中育ちの一級の田舎者ですから、「ジャズじゃ」「タンゴだ」「シャンソンだ」という外国の歌には全く興味がわきませんでした。日本の歌謡曲が、特に、美空ひばりが好きでした。ある時、友達にそれを云うと、異口同音に

            「それでもお前は大学生だろう、よくもそんなつまらん歌が好きになれるのだんあ。おおバカな田舎もんだなあ」

 と、随分と卑下されました。それ以降は「ひばり」と云う名は、仲間の間では、決して、口にしないことに決めておりました。でも、「ひばり」は好きで、ある時などは、わざわざ、日比谷公会堂に「ひばり」の歌を聴きに行った事もありました。友達との会話の中では、そのようなことは、決して、口にはしませんでした。でも、本からの知識だけで、「ジャズ」の話で、聞いたこともない歌を知ったかぶりしながら友達と会話していたことが思い出されます。「デキシー」だとか「スイング」だとか「モダン」だとかという言葉だけでです。

 これが、我が青春時代の「ジャズ」の思い出です。


須勢理毘売は、愛をこめて訴えます

2018-01-28 11:14:10 | 日記

 「お互いの腕をしっかりとから見合って抱き合い」と。それでもう十分に夫「オホクニ」の御足はその場に釘付けなっているのですが、更に、これでもかと云うようにとどめを刺すように、続けて、ヒメは歌います。

            “毛毛那賀邇<モモナガニ>伊遠斯那世<イヲシナセ>”

 と。
 「股をゆったりと長く伸ばして、ゆっくりと私の綺麗な柔らかな腕の中でお眠りなさい」と呼びかけたのです。この歌を聞くとオホクニは旅装束はそこら辺りに脱ぎ捨てるようにしてスセリヒメの元に飛んで行きます。すると、直ぐに、ヒメは手に持っていた盃

                  

 を差し出して、更に、歌います。

                    ”登與美岐<トヨミキ>多弖痲都良世<タテマツラセ>”

 「まづ、此処に持っておりますおいしいお酒を一口お飲みくださいませ。」
です。 
 なお、これは後の世で行われるようになった「仲直りの盃」の初めです。念のために!!!