吾田鹿葦津姫(木花開耶姫)が、日本で、最初に、お米からお酒を作った人であると
貝原好古の「和事始」に書いてありますが、果たして、吾田鹿葦津姫(木花開耶姫)は何時頃の人でしょうか、少々気になったので調べてみました。
日本書紀によりますと、天照大神の孫に「瓊瓊杵尊<ニニギノミコト>」がいます。この人を葦原中国<アシハラナカツクニ>の君主にしようと考えられて、神の国「高千穂」からサルダヒコに案内させて下ってきたのが日向の国です。そこに宮殿を立てニニギノミコトがこの国を治められます。そのコノニニギノミコトがある時、国の「笠沙の岬」を視察なさった時に出逢った美しい女性が
“吾田鹿葦津姫(木花開耶姫)”
なのです。此のヒメは「大山津見神」の娘です。(このオオヤマヅミも「イザナギ・イザナミ」の子供です)
すると、この2人の出会った時代は神武天皇よりも、もっと前々の事です。どう考えてもBC1000年以上は昔のこととなるようです(神武天皇が生まれた年を、通説どうりBC712年として???)。どう考えても 木花開耶姫は作ったとされる「天甜酒<アメノタムサケ>」は、まだ、稲などは日本には栽培されてなかった遠い昔のことです。だから、おのずと、此のお酒は米からのお酒ではなかったことになりますが????どうでしょうかね 。
「お前は、あの大学者「貝原好古」の説に反論するとはめえ度胸をしておるのう。ええかげんにせえ」とお叱りが覚悟して書いております。
御反論をお願いします。