武内宿禰の活躍は仁徳天皇の時代になっても続いております。それについて書紀には
応神天皇の皇子が生まれた時、その産殿<ウブドノ>に、なぜか、木莬<キズ>が飛び込んで来たのだそうです。不思議がられた天皇は、早速、武内を呼び
「こんなことってあるのかな??」
と尋ねられます。丁度その時、武内の家でも、武内の子が生まれ、天皇の子と同じように、その産殿には「鷦鷯<サザキ>」という鳥が飛び込んできたのです。
武内宿禰は答えます。
「これは、これからその皇子の将来に大変にいことが起こるという天のお告げです」
と。そこで天皇は言われます。
「これは大変嬉しい事だ。では、お互いにその鳥の名を交換して、子供の名前にしただどうだろうか」
こうして天皇の皇子の名を「大鷦鷯皇子」に、武内の子の名を「木莬宿禰」と付けられたのだそうです。
これだけ聞くと、これは大変な慶事のように思えるのですが、「ちょっと待てください。」という、大変な疑いが当然のことのように起きて来ますよね。だって、その時、武内宿禰は、もう300歳近くになっていたはずです、そんな年になっても、まだ、子供ができるなんて????そんな生物的生殖能力があったとは、到底考えられませんもの。
でも、この事からは、応神天皇の皇子の名が「大鷦鷯」となったという訳だけは分かりますが。