たった在位9年でお亡くなりになった仲哀天皇の後を受けて政治をしたのが、その妻であった「神功皇后」です。この皇后の政治を助けたのが116歳になっていた武内宿禰です。
この皇后が、先ず、行った政治が、先の天皇が神託を受けて、それを無視したために早死にした原因になた海の向こうにある国への侵攻です。皆さんは、既に、この時の数々の神事について御存じだとは思いますが、誠に、日本の国に都合いいことばかり書いてありますが、それもついでですから書いてみます。お暇なら御読みください??????
その時、皇后は、116歳の武内宿禰をして、まず、神に剣と鏡を掲げさせ、神に捧げるお米を作る神田を造るための溝を掘らせます。でも、その途中に大きな岩があり水を流すことがでず、稲を植えることができません。どうするべきかと宿禰が考えていた矢先にです。天、俄かに掻き曇り、大轟と雷鳴が鳴り響き、その大岩を打ち砕いて、水が神田まで流れ出したのです。
さらに、この後、皇后はすぐに香椎宮に戻り髪を解いて海に入って行かれ、頭を水につけます。すると、自然に皇后の髪が二分されます。皇后はその髪を「美豆羅<ミズラ>
に結いあげ男装になられて、神のお告げの西にある国への軍を進めます。その時、皇后は臨月であったのですが、傍にあった石をとり
「事が終わって帰ってきたから此処で生まれてほしい。その時まで、しばらく待ちなさい」
と、お祈りします。その為に、その御子(応神天皇)は皇后の腹に1年6ヶ月もいたのです。それから軍団を組んで玄界灘の大海原にこぎ出ます。でも、風神も浪神の助けもあり、更に、そこら辺りの海にいる総ての魚までもが集まり船団を囲んで運んでくれたので、舵や櫂を使うことなく大海原を渡って、何事も無く新羅にお着きになられたのです。
このような日本の国に「いい事づくめ」ばかりのお話が、まあ、日本のお話ですからそれでもいいかとは思うのですが書紀には載っております。