武内宿禰が320年もの(愚管抄には380余歳と)長寿であたっと書いたのですが、大変な長寿者が太古には存在していたように記記には記されております。この宿禰の他にも200歳以上を生きた人はざらにいたようです。まあ、事のついでですのでその例を幾人か挙げてみたいと思います、なお、オホクニ、イザナギ、アマテラスなどの年齢は何も記されていないので不明なのです、此処に上げたのは記紀等に記されている者だけなのです。念のため。
さて、女性に年齢を尋ねるのは失礼だと言われているのですが、敢て、今日は、其の年齢を、大変不敬なる事だとは思いますが、探ってみます。
まず、初めは
“倭迹迹日百襲姫命<ヤマトトトヒモモソヒメノミコト>”
御存じだとは思いますが、彼女は孝霊天皇の皇女で、我が吉備津彦命の姉君で「箸塚古墳」の主です。この人は吉備津彦命と共に吉備津神社にもお祭されております。
さて、此の姫については、父孝霊天皇の死後百二十七年(崇神天皇の十年)に起きた
「武埴安彦」
の反乱を事前に察知して未然に防いだと、書紀に書かれております。それから推定しても、その時の姫の年齢は150歳近くはなっていたはずです。然るに、書紀には、更に、姫は、この後、大物主神の妻になります。その時の年齢は驚くことなかれ百七,八歳になっていたのす。
此の姫の夫となった大物主神は妻の家に夜しか訪ねて来ません。だから、姫は夫の顔を見たことがありません。だからある夜、夫に
「愛しの我が背子。私はあなたのお姿を見とうございます。朝まで此処にいてください。おねがいします」
と、頼みます。夫である大物主神は
「そうか、わかった。明日の朝、あなたの櫛箱の中にいます。見て下さい。でも、私の姿を見ても、決して、驚かないでくださいね。約束ですよ」
と。その翌朝、その箱を見た姫は驚きの声を上げます。そこには美しい小蛇(こおろち)がいたのです。姫は思わず「キャー」と驚きの声を上げます。それを聞いた大物主神は「よくも私に恥をかかせたな」と怒って三輪山に逃げ帰ったのだそうです。それを悲しんだ姫はその場に座り込んで、その時、箸が陰部に突き刺さり姫は死んでしまったのだそうです。なお、その事からこの姫の墓を「箸塚」と呼ぶようになったのだと言い伝えられております。