私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

武内宿禰の長寿は並大抵のものではありません

2018-02-10 09:47:31 | 日記

 景行天皇の時代に登場した武内宿禰は、日本書紀によりますと、景行天皇の次の成務天皇も宿禰と歳が同じだったということから、特にかわいがられ大臣になっております。この天皇は書紀によりますと、亡くなられたのが御年百七歳だと記されております。ということは、此の時、宿禰もやはり百七歳だったのです。まあ、このくらいの長寿者は、あの日野原さんもおられたのですから、驚くには値しません。でもです。この武内宿禰は、これも書紀からですが、次の仲哀天皇がお亡くなりになられた時に、皇后は、その亡骸を天皇が大変愛していた土地「豊浦津」(山口)にある「穴戸」に宿禰に命じて、一時的に仮葬させます。ということは、此の時間宿禰は、まだ、存命だったのです。ちなみに仲哀天皇の在位期間は九年ですから、この時、すでに百十六歳だったのです。

 「へー、まだ!!!!」と思うのですが、驚くなかれです。この仲哀天皇の皇后であった「神功皇后」の時代になっても、百十六歳で、まだ、政治の中心にいて皇后の政務を補佐しています。この皇后は在位六十九年です。皇后が崩御の時は宿禰の年は百八十五歳になっております。