好古の大和事始には、先の木花開耶姫に続いて、日本における次の酒の歴史を記しております。それによると、
“神功皇后三韓退治ましまして帰り上ら給ひ、誉田皇子をして角鹿の気比大神を拝礼し
にゆかしめ給う。その留守に酒をかもして待ち給う・・・」
とあります。
これは古事記から取っております。それを、もう少し詳しく説明します。
古事記によりますと、此の時、皇后が造った酒を、帰り来た皇子に、歌を歌いながらすすめて飲ましたのです。その歌は
「此のお酒は私が作った酒ではありません。
スクナヒコナノ神がお造りくださり
わざわざ常世からお届けくださった
誠に貴く有難いお酒です
どうぞゆっくりと全部お召しあがりください。」
と歌うのです。古事記には“神壽<ホ>き、壽ぎ狂ほし 豊壽き 壽き廻<モトホ>し”と書いてあります。 この歌に続いて側にいた「武内宿禰」が神功皇后の歌に対して、幼少の皇子に代わって返歌をしております。そ之歌は、また、明日に