書紀によると「天」は
“及其淸陽者薄靡而爲天”
と書かれており、これを、好古は、その「和事始」で、
「そのすみあきらかなるものは たなびいて天となり。}
と説明しています。では、此の「天」について漢書(からぶみ)ではと言うと、あの「四書の中庸」では
太安万侶も、此処に見られるように、中国では「陰陽五行」によって「天」が成るという考えがあったということは知っていたはずですが、そのような中国の思想とは違って、我が国では「天地初発之時」には、既に、「高天原」があったと考えていたように思うのですが??どうでしょうか。
“及其淸陽者薄靡而爲天”
と書かれており、これを、好古は、その「和事始」で、
「そのすみあきらかなるものは たなびいて天となり。}
と説明しています。では、此の「天」について漢書(からぶみ)ではと言うと、あの「四書の中庸」では
太安万侶も、此処に見られるように、中国では「陰陽五行」によって「天」が成るという考えがあったということは知っていたはずですが、そのような中国の思想とは違って、我が国では「天地初発之時」には、既に、「高天原」があったと考えていたように思うのですが??どうでしょうか。