私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

リットン報告書

2018-05-15 14:46:41 | 日記
                


 此の本は『リットン報告書』です。1932年10月2日に、国際連盟の満州事変についての調査団が出した報告書です。この報告書作成の為に彼等がした日本や中国に関するで調査は、1932年3月から6月までの4ヶ月間です。その間に5・15事件が発生して、犬養木堂が暗殺されます。ですから、この事件は、犬養木堂を慮って、ある程度日本を同情的に取り扱ったのではないかともと云われていますが???
 しかし、この報告書の何処をどう読んだのかわ知りませんが「櫻井」とか言う、やや右翼的な発言が気になるのですが、元アナウンサーは
 「・・・リットン報告書は、もちろん満州国の独立は認めないが、80%日本が正しいと言っている。・・・」と書いています。「何処から80なる数字が」と云う疑念が浮かびますが。少々おかしいのではないでなしょうかね。思うのは自由ですが???貴方は如何に!!!!

 さて、この報告書を見て「犬養木堂」はと云う思いも。

この写真がどうして5・15事件と関連があるの???

2018-05-15 08:45:22 | 日記
               

 と云う問い合わせがありました。どうしてだと思いでしょうか。
 此の砲弾には次のような刻字が見られます。
                 

                 

 「満州事変南岺激戦記念」と「昭和6年9月19日」と言う字が彫り込まれております。ということは、此の砲弾は満州事変勃発の当時の朝、即ち、昭和6年9月19日の朝の戦闘で、満洲の南岺で、使用された砲弾であることが分かります。その戦いの終結を託された人が、当時、もう79歳になる信州へ引退していた木堂です。そして、その戦争終結とその後の日中平和、ひいては世界平和のための木堂の政治に不満なる青年将校によって、『話せば分かる』と云う言葉は生まれたのですが、彼の生命が、この言葉とは裏腹に、この世から消し去られたのです。
 なお、多分、此の砲弾は、現在、残っている満洲事変を物語ることができる日本に残っている数少ない貴重品ではないかと思いますが???