私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

雉之頓使<キギスノヒタツカヒ>no2

2018-05-20 09:28:40 | 日記
諺「雉之頓使」を、もう一つ、吉備と大いに関係のある「古事記」に記されている例からご紹介します。昨日の「崇神天皇」の次の次「景行天皇」の御代のことです。その后に

        “針間之伊那毘能大郎女<ハリマノ イナビ オオイラツメ>”

 と云う人がおられます。この女性は“吉備臣等之祖若建吉備津日子之女<キビノオミラガオヤ ワカタケキビツヒコ>だと書いてあります。ということは、大吉備津日子命の副将として吉備にやってきたあの弟日子の娘なのです。
 此の大郎女と天皇の間でお生まれに皇子に大碓命<オホウスノミコト>小碓命<ヲウスノミコト>等があられますが、この「小碓命」があの

       “倭建命<ヤマトタケルノミコト>”

 です。彼は有名な蝦夷征伐を行いますが、その時も、やはり、副将として

        “御鉏友耳建日子<ミスキトモ ミミ タケヒコ>”

 を遣わしております。
 この御鉏友耳建日子は「吉備臣等之祖」とあります。しかし、この人の名前は「日本書紀」にはなく、代わりに「吉備建彦命」の名が見えます。

 なほ、この二書を考慮してか、「吉備津神社記」には

     “若日子建吉備津日子命の子に、御鉏友耳建日子命あり、其の子を吉備建彦命となす”

 と記されております。

 蛇足;「針間之伊那毘能大郎女」は、日本書紀には、「播磨稲日大郎姫」となっております。