私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“以後稍兪貧”

2019-03-01 16:37:41 | 日記
 火遠理命は帰ってきて、兄の火照命に海神に教えてもらったように鉤を返します。するとどうでしょうか。その兄はその後生活が次第に貧しくなっていきます。それを古事記では、次の7字でもって簡単に説明しています。それが

          “自爾以後稍兪貧”
 
 <ソレヨリ ノチ イヨイヨ マズシクナリテ>。
 この時代、既に、農耕生活が営まれていたのです。水害や旱魃にあい兄は作っていた農作物が全滅してしまい、生活が困窮して貧しくなったのです。それに対して火遠理命はというと、兄と違ってそのような自然災害に遭わずに豊かに暮らします。それを見た兄は

           “起荒心迫来”
 
 「弟だけどうしてそんなに豊かになり、自分かこのように貧しくならのければならないか」と、荒ぶる心が強くなり弟を恨み、ついには、理由もなく弟の館に攻め込んでくるのです。
 そんなことがありはしないかと予見していた海の大神が与えた珠が活躍するのです。「塩盈珠」「塩乾珠」です。
 兄が攻め込んで来た時には「塩盈珠」を使って、海の水を津波のように押し寄せさせ、兄を溺れさせます。海底地震を引き起こす珠でしょうか??その時、火遠理命は何処にいたのでしょうかね。自分の館にはいなくて高台に逃げていたのかもしれませんね。

 それはそうとして、兄の生活がそれほど困窮していたならば裕福な弟としては、当然、援助の手を差し伸べるのが普通ではないでしょうか???それをしなかったという事は・・・火遠理命は慈悲の心や兄弟愛の心は持ち合わせていなかったことになりますかね。余り褒められた性格をしてはいなかったのではないでしょうかね???
 私は、そのような意味で、神話の中では一番嫌いな神様ですが・・・・

 まあそれはそうとして、この事件を通して、これは神代の昔から日本列島に住む人々は、しばしば大津波の災害で相当苦しめていたと言う事がわかる歴史的事実でもあるのです。