“貴ものありけり”と書かれた豊玉毘売から歌の返歌として、夫「火遠理命」からも次の様な歌を送っておりますが、どのような方法で、どこのだれに託して送り届けたかもわかりません。兎に角、届いたのは確かですが、毘売によって綿津見国との行き来する海坂は完全に塞がれているのですから綿津見国へは誰も行くことができませんもの????
まあそれは、兎も角として、返歌を送ります。
“沖つ鳥 鴨着く島に 我が率寝<ヰネ>し 妹は忘れじ 世の尽<コトゴト>に”
「あなたと過ごした綿津見国でのことが、今でも、決して忘れらませんよ。何時までも何時までも」
と。
さて、この歌を受け取った後、二人はどのような関係になったのかも何も書かれてありません。ただ、穂々手見命は
“伍佰捌拾歳<イホチマリヤソトセ>”
生きたとあります。580歳だそうです。そんなと長生きだったのか!!!と、驚いてはいけませんよ。それについては又・・・・・・
まあそれは、兎も角として、返歌を送ります。
“沖つ鳥 鴨着く島に 我が率寝<ヰネ>し 妹は忘れじ 世の尽<コトゴト>に”
「あなたと過ごした綿津見国でのことが、今でも、決して忘れらませんよ。何時までも何時までも」
と。
さて、この歌を受け取った後、二人はどのような関係になったのかも何も書かれてありません。ただ、穂々手見命は
“伍佰捌拾歳<イホチマリヤソトセ>”
生きたとあります。580歳だそうです。そんなと長生きだったのか!!!と、驚いてはいけませんよ。それについては又・・・・・・