豊玉毘売はその御子の養育のために遣わした妹が
“玉依毘売<タマヨリヒメ>”
です。この「玉依」の<ヨ>は、宣長によりますと、
“余呂志<ヨロシ>が切(つづま)りたるなり。物事のよろづととのひ足るを云るなり”
と説明があります。
と云う事は、この名から、玉依毘売は何事につけても経験が豊富で、御子の成長に無くてはならない教養を含めて、将来の皇子としての資質が十分に身に付けられるようにと、その生育を助けるに値する女性を選んで派遣させたのだと思われます。
ということは、豊玉毘売の「恋」と云うのは、その夫に対するものではなく、どこまでも、御自分のお子に対する慈愛のこもった暖かい愛情を表しているものだと考えられますがどうでしょうかね。
次に書かれている、豊玉毘売から当てた穂々出見命に宛てた、歌からもその辺りの事を探ってみたいと思っております。
“玉依毘売<タマヨリヒメ>”
です。この「玉依」の<ヨ>は、宣長によりますと、
“余呂志<ヨロシ>が切(つづま)りたるなり。物事のよろづととのひ足るを云るなり”
と説明があります。
と云う事は、この名から、玉依毘売は何事につけても経験が豊富で、御子の成長に無くてはならない教養を含めて、将来の皇子としての資質が十分に身に付けられるようにと、その生育を助けるに値する女性を選んで派遣させたのだと思われます。
ということは、豊玉毘売の「恋」と云うのは、その夫に対するものではなく、どこまでも、御自分のお子に対する慈愛のこもった暖かい愛情を表しているものだと考えられますがどうでしょうかね。
次に書かれている、豊玉毘売から当てた穂々出見命に宛てた、歌からもその辺りの事を探ってみたいと思っております。