私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“治養”?????

2019-03-29 10:01:47 | 日記
 穂々手見命と豊玉毘売の間に生まれた

          “波限建鵜葺草葺不合命”
          <ナギサ タケウガヤ フキアヘズノ ミコト>

 ですが、母親の深い愛情であったかその子の“治養<ヒタシマツル>(養育)のために、わざわざ、母親「豊玉毘売」は妹の「玉依毘売」を遣わします。

 なお。この“治養”について、宣長は“比多志痲都流<ヒタシマツル>と読んで、これは

 「日足奉<ヒタシマツル>」と云う意味で、「児は日数の積るに随ひて、成長<ヒトトナ>る物なる故に、日数を足らしむる意以て、養育<ヤシナヒタマフ>ことを、然云なり。」

 と云う意味だと説明があります。この他、「お育て申すために」と簡単に説明がしてある本もあります。

 すると、此の時、玉依毘売の年齢は少なく見積もっても、15、6歳にはなっていたはずです。それなのに古事記では、次に

         “波限建鵜葺草葺不合命。娶其姨玉依毘売命”

 と書かれてありますがちょっと考えられないことでは????????