穂々手見命は580歳まで生きて、
“御陵者。即在其高千穂山之西也”
“御陵”は、現在では、一般には<ゴリョウ>と呼ばれていますが、これを宣長は<ミハカ>と読むのがいいと説明してあります。<ミササギ>と読む人もいますが、どうでしょうか???ミササギは天皇陵ですから、はやり宣長説の<ミハカ>の方がいいのではないかと???
なお、これも余残事ですが、我が町吉備津にも「御陵」があります。あの鬼退治の桃太郎さんのお話の元になった孝霊天皇の皇子である大吉備津彦命のお墓だとされて、現在、宮内庁の管理の元に置かれている「茶臼山古墳」と呼ばれている前方後円墳です。
この古墳が、現在、この地方では誰もが<ゴリョウ>と呼んでおりますが、よく考えてみれば、むしろ宣長風に<ミハカ>と読んだ方がいいのではないかと、何時もニヤニヤしながら聞いておりますがどうでしょうかね。宮内庁でも<ゴリョウ>と読んでいるようです。
“御陵者。即在其高千穂山之西也”
“御陵”は、現在では、一般には<ゴリョウ>と呼ばれていますが、これを宣長は<ミハカ>と読むのがいいと説明してあります。<ミササギ>と読む人もいますが、どうでしょうか???ミササギは天皇陵ですから、はやり宣長説の<ミハカ>の方がいいのではないかと???
なお、これも余残事ですが、我が町吉備津にも「御陵」があります。あの鬼退治の桃太郎さんのお話の元になった孝霊天皇の皇子である大吉備津彦命のお墓だとされて、現在、宮内庁の管理の元に置かれている「茶臼山古墳」と呼ばれている前方後円墳です。
この古墳が、現在、この地方では誰もが<ゴリョウ>と呼んでおりますが、よく考えてみれば、むしろ宣長風に<ミハカ>と読んだ方がいいのではないかと、何時もニヤニヤしながら聞いておりますがどうでしょうかね。宮内庁でも<ゴリョウ>と読んでいるようです。