私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

許遠婆<コヲバ>

2017-12-25 08:37:38 | 日記

 オホクニがスセリヒメに声高らかに歌い上げたのは

              “許遠婆<コヲバ>”です。

 色々と申し上げて来ましたが、私が言いたいのは「以上です。」と云い終っています。このたった「コヲバ」という3字の言葉は古事記の中で、他に沢山の歌がありますが、此処で歌われたのが最後です。オホクニの対沼河比売とこの対須勢理毘売戸の歌のやり取りの時しか使われていません。この3字の言葉はオホクニの女性に対する敬愛の情の細やかさが表れているのではないかと想像しておりますが???

 さて、これだけ嫉妬心の強い妻に渾身をこめてオホクニは愛を歌いあげています。それに対する須勢理毘売は歌って答えます。


また「いじめ」で尊い命が。

2017-12-24 10:15:06 | 日記

 あなたは、屹度、物陰で私と別れたことを、あの山蔭に行って、そこに生えている「一本薄」の下辺りで、歎き悲しみ、啜り泣き、その涙は、たちまちに、朝霧になって、これから行く我が道を覆い隠してしまうでしょう。そのような

                   “和加久佐能<ワカクサノ>”

 若草のようななよなよしい「我妻よ」と、訴えかけているのです。

 どうです。それほどまでに私の事を深く愛してくれていたのかと云う思いは、スセリヒメでなくとも大いに感激して、その言葉一つ一つづつまでもで聞き洩ららさないようにしっかりと聞き、歓びの心が一杯に生まれることは洋の東西を問わず時代を超越して、人に与えられた神からの贈り物だと思われま。

 このように人が発する言葉は、美しかろうが何であろうが、その時々の人の心の深く入りこんで、何んらかの精神作用を起こさせる原因になるのは確かです。ある言葉は、人に生きる勇気を、また、その反対の言葉は生きる力を剥ぎ取る恐ろしい力に変えさせる力となることがるのです。

 またまた、今朝の新聞紙の一面に、「中2自殺」の記字です。どうしてこんなにも繰り返し繰り返し「いじめ」による自殺が起るのでしょうかね。ここでも言葉がその仲立ちをしていたようです。このオホクニがその妻スセルヒメに与えた言葉のように、積極的にこれからを生きる歓びを与えるようなやわらかな言葉でなく、生きる希望を失なわさせる「どぎつい???」言葉を平気で使い、相手を傷つけることができるのでしょうか。相手を死に至らせるのではと云う考えがなかったのでしょうかね。学校です。それがあってもなくてもその予防対策を、真剣にしかも真面目に講じられていなくてはならないはずです。それなのに、今回の事件でもも分かるように学校の対応の遅れがあったことには間違いありません。どうしても、学校側の責任は免れないと思われます。学校の責任は当然のことです。
 「なぜこの事件は起こったのか」
 その学校の指導の実態を細かく分析してみる必要があると思われます。今までにしていなくてはならないことがそのままに済まされているのが実態ではないでしょうか。それが是非知りたいものです。
 それにしても、もこうも沢山の命を奪うまでの心ない言葉が平気で生まれるのでしょうかね????そこらあたりも何か政治家辺りの言動にも見られるのではないでしょうかね。、まさか、貴之岩の今回の大相撲の影響ではないでしょうが、人を傷つけておいて、それが自分の生存権を確かなものにするとでも思って暮らしているのではないでしょうか。


那加佐麻久

2017-12-23 11:49:23 | 日記

“那加佐”「あなたは、きっと、泣くだろう」。“麻久<マク>”。この後に更に続けて云う時に使います、接続助詞です。それだけ言ってオホクニは、更に、心配顔をでスセリヒメに呼びかけます。

                “阿佐阿米能 佐疑邇<アサアメノ サギリ>” 

「朝の雨に、その雨があなたの涙に入り交じり辺り一面に霧となって、

              “多多牟叙<タタムゾ>”

 「吾行くてをさえぎるだろう。それくらいあなたの悲しみが私の胸にひしひしと響いてくるようです。どうぞ、そのような悲しみを与えるこをお許しください」
と、その心を真心を持って訴えているのです。オホクニの心の優しさが一杯に表された名文が、たった12字の中に込められて訴えかけておりますが????


“宇那加夫斯<ウナカブシ>”

2017-12-22 11:17:25 | 日記

 「あなたは、私が倭に行っても、決して、泣かないと、今は強がって云うかも知れませんが、私の姿が此処から”伊那婆<イナバ>”去ってしまったならば」
 と更に呼びかけます。余程、スサリヒメを愛していたのですね。その嘆き悲しむ様子まで歌にして妻によびかけているのです。
 人里離れた山の中で一つ、ぽつんと突っ立って、風に揺られながら恨めしそうに咲いているあの“須須岐<ススキ>”「薄」のように

                   “宇那加夫斯<ウナカブシ>”

 頭を下に傾けて悲しそうに

                   “那賀 那加佐麻久<ナガ ナカサマク>

  泣くに決まっている。さらに・・・・。

 そう須勢理毘売に歌いかけます。どうですこの辺りのオホクニの心境は????

 なお、この”麻久<マク>”ですが、例によって宣長によると、
      「麻久は牟<ム>と同意にて、麻志<マシ>で、下に語を続けて云う時に使われる言葉だ」と説明があります。

 

            

                             

                 


“那迦士登波 那波伊布登母<ナカシトハ ナハイフトモ>”

2017-12-21 09:28:18 | 日記

 オホクニは、更に、後ろ髪引く思いをセセリヒメに訴えるように歌います。

                        “和賀比気伊伊那婆<ワガヒケイナバ>”

「私が、これから家来たちを大勢引き連れて、倭に行ってしまったならば」と、更に続けて、

                       “那迦士登波 那波伊布登母<ナカシトハ ナハイフトモ>”

「私はあなたの事を十分に気にかけています。本気で愛しています。だから、分かるのです。私がここから出て行こうものなら、あなたは、いくら、決して、泣かないと言うかもしれませんが」と、本当に、今にも消え入るそうに後々の事までにもあなたの事に思いを廻らせるように、物がなしそうに歌いかけております。
 ただ、そこに書かれている万葉仮名の一字一字を読むのでなく、その文章をひとまとめにして読むと、その一字一字の中に込められている登場人物の心の片隅までもが読む者の心にまでひしひしと伝わってくるような不思議な感じが伝わってきます。

 もう一度声に出して御読みいただけるとよく分かると思います。

    “和賀比気伊伊那婆<ワガヒケイナバ>那迦士登波 那波伊布登母<ナカシトハ ナハイフトモ>”