私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“和賀牟禮伊那婆<ワガムレイナバ>”

2017-12-20 09:53:46 | 日記

 「愛しの我が妻よ」と呼びかけ、更に、オホクニはたたみ掛けるように妻恋の歌をこれでもかと歌います。それが

               “和賀牟禮伊那婆<ワガムレイナバ>”

 です。大勢の家来たちを引き連れて大和の国へ“伊那婆<イナバ>”。「行ってしまったならば」です。

 ちょっと又、例の通り道草をしますです。この「イナバ」ですが、「行ってしまう」と云う意味です。此の言葉について少々!!!!吉備の国の方言に「いぬる」と云う言葉がありますが、「帰る。立ち去る。」と云う意味ですが、この語源は、ここにでている「伊奴<イヌ>」から出た言葉だそうです。
 古代社会では、当時、都で使われていた言葉が、次第に、鄙の地方に伝播していって、都でのその言葉そのものは、いつの間にか廃れ消え、他の言葉に置き換えられて、使われなくなってしまったのですが、地方では、そのままその土地に定着して、現在でも、方言として依然として残り、使用されておる例が沢山ありますが、その一つの例が、この

               “伊那婆<イナバ>”

 です。「いぬる」の語源なのです。あの小野小町の歌にある

              “わびぬれば 身を浮草の根を絶えて
                                  誘う水あらば いなんとぞ思ふ”

 の「いなん」もその例の一つです。なお、言葉が都から鄙の地には同心円的に伝わるようで、吉備地方の言葉と、古代の都だった京都から距離的に同じ位置にある尾張・美濃辺りの土地の言葉と似通っていると言われていますが、今でも、名古屋付近では、「帰る」ことを吉備のように「いぬる」と云うのか言わないのかは分かりませんが???


しかしです・・・・

2017-12-19 11:58:48 | 日記

 「そんな服はおかしいよ」と、思っている毘売に向ってオホクニは、更に、ぬけぬけと高らかに歌います。

            “伊刀古夜能<イトコヤノ>

 とです。この<イトコ>というのは「可愛い子」と云う意味です。その嫉妬心に嫌気がさして出雲国から逃げ出そうとするオオクニの筈ですが、其の本心は、どこまでもその妻のスセリヒメを愛していたのでしょう。だから、緋色の服もその心をヒメに分からせるための演出ではなかったのではないでしょうか。なお、「夜能」について宣長は「夜能<ヤノ>」は「能夜<ノヤ>」で、助辞で「意味がない言葉だ」と、説明しております。それに次いで

                   “伊毛能美許<イモノミコ>

 と言葉をかけます。「可愛い」とことさら言って、それからやや間を置いて、「我が妻よ」と呼びかけたのです。
 これを読むと、この時の旅立とうとするオホクニの姿と引き止めてもらいたいと思うオホクニの心とが混ざり合って、男として、又、夫として、その場を一番上手に収めるのはどのようにするのがいいか考えた末の特別なオホクニの持つ政治的解決方法が、この短い言葉の中に集約されているように思えます。その周りの空気を読む心は深く、その心が後々まで日本人の心に深く植え付けられ、愛すべき神様「ダイコクサマ」として崇敬されてきた原因ではないかと思われます


茜を搗いてその絞り汁で染めた服です

2017-12-17 17:16:27 | 日記

 茜<アカネ>です。どんな色だと思われますか.

              この色が茜色です。こんな色の服が「私には似合う」とオホクニは須勢理毘売に言ったのですよ。

    “許斯與呂志<コシヨロシ>”です。緋色の衣が心に適い一番気に入ったので、この服を着て「倭」にこれから旅立ちます」

 と告げたのです。ちょっとどうお思いでしょうか。こんな色の服を着てよくも旅立てるものですね。このような旅装束で行こうものなら、人々はどう思うでしょうか。それを見ただろうスセリヒメは、即座に、言ったのではと思われます。

  「まあ何とおかしな色の服でしょうね。あなた。そんな服を着て行くのはおやめになったら」

と云うに決まっていると思われるのですが。当時の服は白が当り前ではないかと思われますが???

 


「今年の漢字は?」と問われても・・・・

2017-12-17 10:12:22 | 日記

 今日も又、折角、このブログの関係者からのお題を頂戴したので、それについて考えてみました。日本全体としては今年は「北」という字でしたね。まあその制定理由として色々考えられたのでしょうが、それは兎も角として、私個人の字としては何にしたらいいのか考えてみたのですが、これと云って当てはまるような字は見つかりません。80歳を超えて足腰が弱くなってきたので、その「足」にしようかとも思ったのですが、考えてみると「足」は<タル>とも読みます。年金暮らしで生活に追われっぱなしですから、この「足」では今の私の言葉とは成りえずです。
 では、果たしてどんな字がいいかとなると、これ又その選定に少々考えさせられますね。どんな字がいいのか???

 私の町「吉備津」は、かの栄西生誕の地です。この前、栄西が伝えた[禅]について、あるお坊さんのお話をちょっと聞きかじりました。その中で

 「禅とは自然にあるがままに生かされていくことだ。そうすると、したいと思っている心が、おのずとむこうから自然に近ずいてくるのだ。」

 と。そう言われて次のような「書」を見せてくれました。

                   

 此の書の中から、今年の私の漢字を「弄<モテアソブ>」にしました。丁度、今の私にあった感じ(漢字ではありません)ではないかと思います。どうでしょう???

 


私の年賀状

2017-12-16 10:32:02 | 日記

 私は、毎年、年賀状は吉備津神社の四季折々の風景を写真に写して、それを刷りこんでおります。今年は,「戌」の歳にちなみ、吉備津の伝統玩具「吉備津のこまいぬ」を、吉備津神社の神殿の前に配した年賀状を作りました。毎年、楽しみにしている友人も居られる様で、既に、12年の年月が流れております。

 

                

 なお、宛先はパソコン入力でなく毛筆で書きました。