私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

オホクニは深く考えます????

2017-12-03 10:19:24 | 日記

 オホクニは妻「スセリヒメ」の嫉妬深さに辛抱しきれなくなったのでしょうか、ほとほと往生してし出雲の国から逃げ出そうとなさいます。その様子を

                  “日子遅神和備弖<ヒコジノカミ ワビテ”

 と書かれています。「日子遅神」については、一般には「遅」ですからオホクニの別名「大穴牟遅神」から、これは「オホクニ」の事だと言われていますが、宣長は

            「夫婦<メヲ>のうへの事を云時、其ノ夫を指して云稱と聞ゆ」

と説明しております。だから、スセリヒメの夫たるオホクニの事です。次の “和備弖<ワビテ>”についても宣長は

           「為方(せむかた)なくさしせまりたる意なり」

 と、説明してあります。
 「スセリヒメの嫉妬深さにどう対処すればよいか分からずオホクニは差し迫って途方に暮れている」という意味だそうです。ご自分の妻である女性の力にはあの「オホクニ」でさへもほとほと手を焼いたと思えるのです。これは歴史的な事実ですから、いかな安倍氏であってもそれを持て余すのも当り前な事だと思われますが???だからこそ、『忖度』と云う言葉が本年度の流行語に指定されたのではないでしょうかね???少々意見が飛躍過ぎますかね

 

              


スセリの嫉妬は・・・・

2017-12-02 09:28:53 | 日記

 ここでは、其の須世理毘売の嫉妬については、ただ

                          “甚為嫉妬”

としか書かれていませんが、その嫉妬の為に犠牲になられた女性がいるのです。
 先に紹介したあの因幡の国の“八上比売<ヤガミヒメ>です。出雲に連れられて、そこでオホクニと一緒に住まわれたのですが、お子様が生まれると、その正妻スセリヒメを畏れて、因幡に帰ります。どのようないじめがそこにあったのか、その嫉妬心の内容は何も書かれてはいないのですが、そこに住めないような、日馬富士のような暴力事件があったのではないでしょうが、“恐”ではなく、“畏”があったのです。「畏」とは「危険な目にあって相当恐ろしい状態」をいう様子ですから、そこにいたたまれないような阿漕ないじめがあったのかもしれません。

 その「畏」を心配したのでしょうか、「沼河比売」をオホクニは出雲には連れて帰らないで、越に置いて現地妻にしていたのではないかと思われますが???此の後此の日売の事については歴史は何も語ってはいません。そう考えると、歴史と云うものは相当な残虐者かも、「物」かも、しれませんね???どうお思いでしょうか。

 でも、此の後、この「スセリヒメ」の嫉妬心には「スサノヲ」もほとほと手を焼いたと見えてというか、愛想が尽きたのか、とうとう自らも出雲から逃げ出そうとします。

                        


甚為嫉妬

2017-12-01 15:07:53 | 日記

 古事記でもそうですが、歴史書を紐解くとどうしても、嫉妬深い女性が頻繁に洋の東西を問わず出てきます。先に上げた仁徳天皇と吉備海人直の娘「黒媛」との間に起った事件もそうです。オホクニの歴史にも、この「嫉妬」という言葉がそのまま使われております。それについて、また、少々道草を。

 さて古事記には、オホクニと沼河比売の恋物語は終わります。それが終わると今度は、

              ”其神之嫡后<ソノカミノオホキサキ>須勢理毘売命<スセリヒメノミコト>甚為嫉妬<イタク ウハナリ ネタミシ タマヒキ>”

とあります。オホクニの正妻「スセルヒメ」も、他の女性同様に、やはり大変嫉妬心が強かったのです。それが歴史にきちんと書かれているのです。