私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

一百七十九萬二千四百七十餘歳????

2019-03-27 10:08:45 | 日記
 「1792470」この数字をなんだと思いますか???「歳」とありますから年齢の事だと分かりますが・・・
 この数字は、昨日、平成天皇が「神武天皇陵」に参拝されたという記事が今朝の新聞にありましたが。この神武天皇について書かれている日本書紀に出ています。

     “自天祖降跡以逮、于今一百七十九萬二千四百七十餘歳”

   「天つ祖の降<アモ>りまししより以逮<コノカタ>、今に一百七十九萬二千四百七十餘歳」
 この数字は「邇々藝命ー穂穂手見命ー葺不合命」の3名の、高天原から葦原中国(高千穂)に降臨されて以来の数字です。1792470年も経過しているのです。
 とすると、3代で、これだけですから、お一人の年齢は平均しても約六拾萬歳になるはずです。でも、古事記では、その2代目の火遠理命(穂々手見命)は「五百八拾年」の間、高千穂ノ宮にお出でになったと書かれておりますから、この二書の違いをどう読めばいいのでしょうか???日本書紀に書かれている数字に、何処か間違いがあるように私は思います。「500」と云う数字さへおかしいと思われるのですから???まあ、そんなことも書かれているという事実だけでも知っておいてもらいたいものだと思われます。

 これら数字にせよ書かれていることが総てが現実にあった歴史的な事実かと云うことではなく、大昔からそんなことも伝えられて、現代に来ているのだという事を知ればそれでいいのだと思います。此の年齢など総て生物学的には考えられない非科学的なことですが。
 それが間違っているから総てだめだというのではなく、歴史の流れの中でそう受け取られた時代もあったのだという事を知ればそれでいいのではないでしょうか。

“其比古遅<ソノヒコジ>答歌<コタエタマエルミウタ>”

2019-03-26 09:06:18 | 日記
 “貴ものありけり”と書かれた豊玉毘売から歌の返歌として、夫「火遠理命」からも次の様な歌を送っておりますが、どのような方法で、どこのだれに託して送り届けたかもわかりません。兎に角、届いたのは確かですが、毘売によって綿津見国との行き来する海坂は完全に塞がれているのですから綿津見国へは誰も行くことができませんもの????

 まあそれは、兎も角として、返歌を送ります。

   “沖つ鳥 鴨着く島に 我が率寝<ヰネ>し 妹は忘れじ 世の尽<コトゴト>に”

 「あなたと過ごした綿津見国でのことが、今でも、決して忘れらませんよ。何時までも何時までも」

 と。
 さて、この歌を受け取った後、二人はどのような関係になったのかも何も書かれてありません。ただ、穂々手見命は

           “伍佰捌拾歳<イホチマリヤソトセ>”

 生きたとあります。580歳だそうです。そんなと長生きだったのか!!!と、驚いてはいけませんよ。それについては又・・・・・・

豊玉毘売の歌

2019-03-25 15:41:11 | 日記
 “阿加陀痲刃 袁佐閇比迦禮杼 斯良多痲能 岐美何 余曾比斯 多布斗久阿理祁理”
 <アカダマハ オサヘヒカレド シラタマノ キミガ ヨソヒシ タフトクアリケリ>

 「赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装ひし 貴くありけり」です。意味は解釈しなくても分かりますがどうでしょうか。
 [以前ご一緒にいた時は 貴方の姿は遠くの眼からでも光り輝いておりました。そのようなお姿を思い出しては大変懐かしく貴く思い出しております。]
 これは「あなたが今でも恋しくてたまりません」と云う「恋」の歌ではありません。貴方のその高貴なるお心でどうか御子を大切に育ててくださいなと云う挨拶の歌だと私は思っております。

 「私の本当の姿を見てしまったから、貴方の私への愛情はもう消えていると思いますが、わたしは今でも遠くから貴方のお姿を想像しながら生きて行きます。どうか御子をよろしくね」と云うぐらいな軽い社交辞令的な挨拶歌だと、私は解釈しておりますが。

 こんな解釈は誰もしておりませんが、変でしょうかね???????

妹毘売に託した歌は・・・・

2019-03-23 10:30:30 | 日記
  豊玉毘売はその御子の養育のために遣わした妹が

                  “玉依毘売<タマヨリヒメ>”

 です。この「玉依」の<ヨ>は、宣長によりますと、
   “余呂志<ヨロシ>が切(つづま)りたるなり。物事のよろづととのひ足るを云るなり”
 と説明があります。
 と云う事は、この名から、玉依毘売は何事につけても経験が豊富で、御子の成長に無くてはならない教養を含めて、将来の皇子としての資質が十分に身に付けられるようにと、その生育を助けるに値する女性を選んで派遣させたのだと思われます。
 ということは、豊玉毘売の「恋」と云うのは、その夫に対するものではなく、どこまでも、御自分のお子に対する慈愛のこもった暖かい愛情を表しているものだと考えられますがどうでしょうかね。
 次に書かれている、豊玉毘売から当てた穂々出見命に宛てた、歌からもその辺りの事を探ってみたいと思っております。

妹とに託した豊玉毘売の歌

2019-03-22 12:16:50 | 日記
 あまりにも急な別れで、その御子「波限建鵜葺草葺不合命<ナギサタケ ウガヤ フキアヘズノミコト>恋しさが募り、その子の

            “治養<ヒタシマツル>”

 ために自分の妹「玉依毘売<タマヨリヒメ>」を葦原中津国に送ります。それが

            “不忍恋心<コイシキニ タエタマハズ>

 のです。この「恋心」がその夫たる穂々出見命(火遠理命の別名)への恋だと解釈されていますが、どうでしょうか。私は、あくまでも、この恋心はその御子の為だと思っているのですが????