私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「吉備津神社記」も最終章です。

2020-07-09 09:42:06 | 日記
 これまで「吉備津神社記」に記載されていることについて色々と書き綴ってきたのですが、いよいよ最終章[吉備津神社に参詣した人たち]についてです。この中には「十訓抄」の長政の記事もありあすが、その他の人たちの参詣の様子を見ていきます。

 まず、光圀の「大日本史」の草稿と明治45年の「訳本大日本史」の中から
    

 その「列伝第五十七 藤原朝臣保則」より記されています。

 貞観の始め(860年台)ごろです。当時。備中の国には
         "亢旱飢饉して、道殣相望み、群盗公行して 邑里蕭条たり・・・”
 「旱害で飢饉が発生して、道端は飢え死にした人の死骸で埋まり、群盗がはびこり、村々は荒れ果ててしまっている」状態でした。国司の「朝野貞吉」はそのよう中で「治をなすこと過酷にして」(ごく小さな過ちであっも逃さず厳しく取り締まり)常に牢獄には捕らえた者で満ち、また、路上に倒れる者が溢れていた。
 このような備中国の状態の時に新しい国司として赴任してきたのが

         ”藤原朝臣保則”

 という人です。この人の政治がこの列伝に細かく述べられています。それを少しく詳しく見ていきたいと思います。

  

「大賀蓮」って??

2020-07-08 08:18:43 | 日記
 「大賀ハス」ってご存知ないお方が多いのではと思いますが?????そこで今日もまた例の知ったかぶりして「大賀ハス」について少々・・・

 もう50年も前の話ですが、千葉県で2000年前の地層からハスの実が、たった3粒ですが、発見されました。その実をハス博士の大賀一郎が育てて開化させます。この大賀博士は、我が町吉備津のすぐ隣の庭瀬の川入(犬養木堂の生家の近所)で生まれます。そのような関係で博士のハスが地元の庭瀬城址の堀でも育てられ、今、優雅に開花しております。
 このハスは朝まだき梅雨空の下に、本当に、有るかないかの、天使の息吹ではとまがうような「ぽっ」と音を発して開花するのです。

 その庭瀬城址のハスです。

   

 このハスを岡山の後楽園でも苗を移植して、今、その美しい姿を人々に楽しませております。この音も、どうしても「日本の音風景100選」に選んで欲しいものだと思ったのですが????


三蹟の藤原佐理の書 「まかねふく・・」と「みまさかや・・」を

2020-07-07 06:50:51 | 日記
 「日本の音風景100選」に岡山県から細谷川と佐良山が入ってないのはおかしいと書いたのですが、せめて、古今集にある歌を書いた藤原佐理の書でも見てください。これが国宝かとも思えるのですが、よくよく見ると、なかなか趣の深い書??????です。
 
 まあ!!!!!この書を見て選定されなかった溜飲でも下げていただくと・・・・
    その書を

   

 猶、佐良山ですが、あまり美しい姿のお山とは言えあせんが?? LRt津山線の亀甲駅近くから見えます

   

 それと、細谷川の音のさやけさも一緒にどうぞ!!!

           

これってちょとおかしいんじゃない??

2020-07-06 08:43:06 | 日記
 平安時代から、そのさやかな音として日本全国に鳴り響いていた我が町の細谷川の名前が、今は、消え去られてしまっているのです。それは1996年に決まった
      「日本の音風景100選」
にその名前が出ていないということです。
 日本の音風景100選ですから、当然、岡山からは「細谷川」や津山の「佐良山」が、更に、後楽園の「大賀蓮」もその中にあるものだと思ったのですが残念ですが影も形も見当たりません。地域の応募によって選ばれたとは聞いていますが、まさか、昔から伝わる吉備に伝わる「名音???」が入っていないなんて思いもいなかったものですから、驚いているのです!!!!!!!!!!!
 この内「佐良山」ですが、”細谷川の音のさやけさ”と共に古今集に載っている
         
        ”みまさかや 久米の佐良山 さらさらに 我が名はたてじ よろずよまでに”

 と詠まれている久米の佐良山です。  

 なお、此の音100選には岡山からは①備中川のせせらぎ②新庄の小川の2か所が選ばれていますが、その選定理由は不明です。でも、せっかくの「日本の音風景100選」と銘を打っているのですから、「なるほどな」というもう少し客観的理由のある歴史的な背景を持つ場所から選ばれてもいいのではないでしょうか???

 細谷川はたきつせにて・・・

2020-07-05 07:29:07 | 日記
 「細谷川はたきつせにて さやけきおとのいまもきこゆるは、たえてひさしく、といひけんたきにはことたがひて 名のみならずなむ」
 とこの歌碑には野之口隆正が書いていますが、どうしてこんな
                 「たえてひさしく」
 なんてことを書いたのだと思われますか???不思議でしょう。
「細谷川のさやけき瀬音が消えて随分と時間が経過したと聞いたのだが、今、ここに来てみるとさやけき音が聞こえているではないか」
 と。
 
これは隆正が、以前鎌倉後期の人、今川了俊の「道行きぶり」を読んでその中に書かれてある、
 「細谷川はおとにききしより、猶心ぼそげなり」
 を読んで、「こころぼそげ」という言葉から
 「たえてひさしく」と書いたのではないかと???

 その歌碑をもう一度。今日は少々違う角度から・・・