ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013大賞受賞
ジリ貧町工場を再生した主婦から社長の奮闘記
とても参考になりました。これまで10年以上、関西・東海地区の中小企業を訪問して、色々な社長さん方にお会いしてきました。
その中には、主婦から社長になった女性2人の社長もいました。でも、これほど若くして、なるべくしてなった女社長は初めてだ。しかもうまく企業を継承し再生している。
2012年12月、雑誌『日経ウーマン』が、各界で最も活躍した働く女性に贈る「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」に選ばれた。「主婦から町工場の2代目社長」になり、経営難に直面していた町工場を立て直した1人の女性の自叙伝。『町工場の娘』。とても読み応えがありました。
この著者「諏訪貴子」さんは、町工場を営む家の次女として生まれ、突然、主婦から先代の後を継ぐことになった経営者としての奮闘記だが、この女社長もすごいが、男として育て、理系の工学部に入学・卒業させ、大手の自動車部品メーカーに2年間修行で送り込み、そして自分の経営する会社に2回採用、リストラまで経験させた父親も偉い。余りにもこの後継者育成策はすごすぎる。
そして、2004年4月。会社で体調を崩したダイヤ精機社長である父親が、緊急入院。わずか4日後、亡くなってしまう。この会社は、ものづくりの町、東京都大田区で自動車関係の製造業で社員30人弱の町工場だったというが、ドラマの筋書きでも読んでいる感じだ。映画にしてもおもしろいだろう。
創業は、東京オリンピックが開催の1964年、つくれば売れる高度経済成長期の真っただ中、ものづくりはお金を稼ぐ手っ取り早い手段だったという。67年ひ不幸が襲う、長男が6歳で他界してしまうのだ。その後、1971年に生まれたのが本書の著者である貴子さんだ。
小さな頃から「兄の代わりよ」と言われて男の子として育てられる。直接的な2代目修行や「後継者になれ」といった言葉はかけられなかったと言うが、成蹊大学工学部工業学科に進学・卒業。実践的に2代目修行ができる取引先の大手企業に送り込まれる。これはただの偶然ではないだろう。父親のねらい、願望のなす仕掛けだろう。
入社2年後、97年に結婚を機に退社。専業主婦となったが、2004年までの間にダイヤ精機に2度入社し、2度リストラに合うという紆余曲折を経験。この実体験もすごい。2004年3月、父親である社長突然、亡くなってしまうが、この経験が後に活きたのではないだろうか。
そして、32才で成るべくして2代目社長として白羽の矢が立った。
社長として、バブル崩壊の余波もあり、赤字経営が続く町工場の舵取りをいきなり任された貴子さんが、奮闘して、町工場を再生させていく様子は、将にドラマ展開。1人の主婦が社長に就任して10年間の物語は、読む人に感動と、元気や勇気を与える。
東京都大田区は町工場の町として有名だが、現状は工場数の減少が止まらない地域。ダイヤ精機の10年間の取り組みは、多くの中小企業経営者にやれば出来る。生き残るためのヒントが一杯書かれている。
ぜひ、多くの人に読んでもらいたい本だ。
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