まいど、日本機関紙出版です。

〒553-0006 大阪市福島区吉野3-2-35
 TEL06-6465-1254 FAX06-6465-1255 

町の将来はどうなるん? ―わが故郷を語る―

2009年02月14日 | 丸ちゃんの私的時間

 私の住んでる地元のあるニュースに「わが故郷を語る」として記事を書きました。ハイ。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 盆暮の帰省時は中国自動車道を西へ西へ。広島県に入り三次の次の高田インターで下りたところがわが故郷・広島県高宮町です。5年前に6つの市町村合併で安芸高田市になりました。北は島根県に隣接した山村で、主産業はたぶん農業でしょう。インターを抜けわが集落へ向かう途中、いつも寄る温泉が「高宮湯の森」です。温泉自体は相当古くから湧いていたものですが、現在のように整備され、広島市内など遠方からお客さんが来るようになったのは10数年前からです。なかなかいいお湯ですよ。ぜひ近くに来た際は寄ってみてください。

 温泉の隣には「ニュージーランド村」という牧場風テーマパーク(あちこちにあるらしいですが)があり、子どもが小さかったころはここにもよく行きましたが、去年8月に閉園しました。あっ、そうそう。大事なことを忘れていました。インターを出てすぐ隣に道の駅があり、そこにこの町唯一だろうと思われるコンビニがあります。町内のほかの場所でコンビニを見たことがないのでたぶん唯一だと思いますが、これ一つとってもいかに山の中かということがおわかりいただけるでしょう。

 さて、さらに車を約10分走らせると佐々部(ささべ)という地区にある実家に着きます。現在は83歳の父と84歳の母が住んでいます。父は年齢の割にはまだまだ元気です。母は背中・腰あたりの病気で外出が難しく、家事もかなり困難になっています。幸い長男(私より5歳上)が東広島市にいて、頻繁に帰り家事や農作業をしてくれているのでなんとかやっています。

 さて、「わが故郷を語る」と言っても30年以上前の記憶とその後の年2回帰省時の断片的な印象でしか紹介できないのですが、町内の様子は故郷を離れて33年になる私の感覚では、住んでる人はまあほとんど高齢者という村です。青年団などもあり、若い人もそれなりにいるようですが、小・中学校はいくつもが統合し、せっかく分校から昇格して単独校になった高校も廃校になるという状況で、町の将来はどうなるん?という心配はあります。都会に出たお前が何を言うかと言われそうですがね。

 家の前の道路の向こうは田んぼが広がり、その先の川をへだてた向こう岸の土地は狭く、すぐに山につながっています。田んぼはどんどん整備されて広くなり、稲作はほぼ機械化されてきました。小さい頃はこの田んぼで走り回り、サッカー、凧揚げ、冬には雪だるま、霜柱踏み、氷割り、水路で魚とりなどいろんな遊びをしたものです。もちろん流れる水は断然きれいでした。

 あるときすぐ上の兄、確か小学校4年生ぐらいのときでしたか、彼が自転車に乗って田んぼの脇の坂道を下ってるときに、誤って田植えをしたばかりの田んぼに自転車ごと突っ込んだことがあります。全身ズブズブの泥だらけで泣きながら家に帰ってきました。なんかいつも思い出す出来事です。

 田んぼといえば、よく仕事も手伝いました。春の田植え、夏の農薬散布、秋の刈り入れ・・・。田植えは腰が痛くなります。土のなかにはヒルもいます。苗をまっすぐ植えなければいけません。子どもには結構キツイ仕事でした。夏の農薬は暑さがしんどかったあ。全身を服で覆っているので暑い暑い。秋は刈り取った稲の束を持ちあげるのが重くて重くて。それに延々と広がる稲、稲、稲、稲、稲、稲です。1ha以上作っていましたからいつ終わるん?という感じでしたね。
 
 と、こんな調子で「わが故郷」について書いていくとキリがありません。いつの間にか紙数もなくなりそうなので、とりあえず終わりにします。いろんなこと、まだたくさんあります。またそのうち機会がありましたらお目にかかりましょうね。
 

 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「橋下知事、がんばってるやん」というあなたへ・・・

2009年02月14日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 12日夜、「潰すな大阪! みんな集まろう2・12」に参加、橋下大阪府知事の横暴を何とかしなくてはと、各分野の人たちが声をあげました。

 まず開会あいさつで日下部吉彦さん(音楽評論家)。

「支持率80%が彼を支えている。われわれが声高に言えば言うほど、80%の人たちを敵に回してしまうことになりかねない。その人たちを味方にするためにどういうやり方があるのか、それを考えなければならない。
 
 その1つが文化・芸術・教育はインフラなんだと考えることではないか。普段の生活の中でそのようなものは意識しないけど、ではこのようなものが無くなったら私たちの生活はどうんなものになるのか。実はそれが潤いであり生きがいだ。こういう視点から私たちはたたかいを考えなければいけない」


 続いて「ワッハ上方」館長、国際児童文学館を育てる会、障害者作業所所長、病院看護師、府立高校生によるシンポジウムでは、橋下知事の文化、障害者、医療、教育切り捨ての内容が詳しく話されました。


 さらに講演に立った二宮厚美さん(神戸大学教授)からは、橋下府政への厳しい断罪が宣告されました。

「80%の支持があると言うが、実はその80%の人たちは知事は誰でもいいということ。なぜならその人たちは過去30年間の大阪府政の行政のもとから追い出されていった人たちといえるから。たとえば学童保育に子どもを預けている人たちは知事の発言に注目している。それは生活と結びついているからだが、そうではない、大阪府のやることとは全く関係がない人たちの判断の基準はテレビ映り基本になってしまう。

 そう考えるとこの80%の支持というのはやむを得ない判断だということになってくる。その原因はメディアがちゃんと報道していないということが大きい。だから決してあきらめてはならない。

 じゃあどうすればいのか。知事が自分で辞めないというのなら、辞めるように包囲していくしかない。たとえば知事はWTCに大阪府庁を移転してゆくゆくは大阪府を無くし、そこを関西州の州庁とすると言う。でもこれを京都や兵庫、奈良、和歌山の人たちはどう見ているか。京都の人たちは笑っている。だからこんなことは絶対に実現できないこと。

 実現できないことをなぜ言うのか? 簡単に言えば関西財界に踊らされているということ。州は大企業中心の開発路線をとり、教育や福祉は市町村が担当し、国は国本来の固有の仕事である軍事や外交などに専念するというような構想だ。でもこれ自体が憲法違反。25条の実施が国の仕事なのにそれを行わないことを意味する。(中略)

 橋下知事の考えは「弱いものは強いものに従え」というもの。ジャングルの法則、バーバリズム、野蛮な法則、下品だ。文化が嫌いでコンプレックスを持っている。品のある文化が体質に合わない、だから切り捨てていく。

 でもこれは変わらない。じゃあ変わらなきゃ、辞めてもらうしかない。80%の人たちにどのように世論を作っていくか、それを考えなければいけない」


 集会はこのあと上方舞、弦楽八重奏、合唱など橋下知事が嫌いな文化行事が披露され参加者は暫しの憩いの時間を過ごしました。

 
 うーむ、何とかしなければ。私にできること何かと今も考えています。 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする