■「富士山」の歌
「もう二度と来るな!」と後ろを振り返った拓也が言いました。参観のお母さんたちの笑い声が、教室にどっと湧き上がりました。
今日は参観日です。
拓也は、三年生のやんちゃ坊主です。
お母さんは、仕事の休みがなかなかとれなくて、めったに参観に来てやることもできません。やっと昼から休みがとれ、今日は楽しみにやって来たのでした。
窓からのぞくと、目が合った拓也はちょっと照れくさそうな笑顔をうかべていました。
音楽の授業が始まりました。
リコーダーの音が一つになって、なかなか快い時間です。お母さんもなんだかうきうき体がリズムを刻み出して、自分まで小学生になって授業を受けているような気持ちになってきたのです。
アンパンが大好きな堀川先生も、楽しそうです。リコーダーの音に乗って、楽しさが教室中を踊っていました。
今度は、先生はオルガンの前に座り「富士山」の曲を弾き始めました。
お母さんも大好きな歌です。前奏が始まると、もう心の中で一緒に歌い始めていました。
子どもたちの声が一つになって、一生懸命歌う姿を見ると、お母さんはいつも涙が思わずあふれてくるのです。なんだか胸がいっぱいになって心がふるえるのです。子どもたちの声は、あんなにも明るく、あんなにも澄み切っていて、明日をたぐり寄せるようにあんなに元気なんですもの。
♪頭を雲の上に出し
四方の山を見おろして
雷さまを下にきく
富士は日本一の山…♪
ここのところで、お母さんの声が、心の中から外へとび出してしまったのです。しかも、ハモって高音を歌ったもんですから、お母さんの声は、教室の中に響きわたってしまったのです。その瞬間です。
「もう二度と来るな!」という声が、後ろへ飛んで来たのでした。参観のお母さん方と一緒に、お母さんも笑ってしまいました。
「へん!なんだよ!また来て歌ってやるからな」
あの日から20年たちました。
拓也は大人になってシンガーソングライターになりました。今も夢を追って、自分の歌を、心の歌を唄い続けています。
今日もコンサート会場で歌っています。よし、出かけて行って、後ろからまた歌ってやるか。
これは、私の三男、拓也が小学三年生のときの話です。「オカン」は、私でありまする。友だちみたいな親子を今も続けています。
■「絶対来てほしい」
「もう二度と来るな」と言ったその息子が中学三年生になった時です。
「なあオカン、忙しいやろけど、今度の参観日だけは絶対来てほしいんや。クラスごとに合唱をやるねんけど、オレらのクラスすごいで。きっとオカン感動すると思うから」
そう言われ、オカンは万難を排して出かけて行きました。
やっぱりその日も音楽の授業でした(合唱の発表会)。
受験を前に、あせりも不安も抱えている時なのに、あの中学生たちは立派に未来を見つめ、心を燃やし、歌うことに青春をかけていたのでした。
またまたオカンは、泣けて泣けてしかたがありませんでした。感動のあまり、今度は一緒に歌うどころではありませんでした。
「オカン、オレらのクラスが合唱コンクール1位や。優勝やで!みんなで大泣きや」
まだ目を赤くしていた拓也のあの日の感動は、今も生き続けていることでしょう。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)