体罰を考える
◆桜宮高の体罰自殺事件
桜宮高校の体罰問題、生徒の自殺事件で、また教育界に激震が走っている。
私はかねてから日本の教育界にある「愛のムチ」という暴力やスポーツ界にある「根性を入れる」という名の暴力に疑問を持ってきた。
それじゃ、お前はそういう経験はないのかと言われたら、恥ずかしいことに否定できず、今も思い出すだけで胸が痛い。
我が子に手を出した時に、私を睨みつける目は、他人をつきつけられた恐ろしい目だった。生徒に手を出したときの目も怖かった。指導力がないことをさらけ出した行為だった、と自分が情けなかった。そのとき以来、私は子どもの前で誓った。二度と指導という名の暴力はふるうまいと。自分と闘いながら、自分自身に言い聞かせてきた若い日々だった。
今度の事件を機に、家庭教育、学校教育に体罰は無縁という取り組みが本格的に始まることを期待している。
◆市長の暴言に怒り
それにしても、今回の桜宮問題の対応は、解決などとは程遠く、怒りさえ感じている。
体育科の入試中止、先生の総入れ替えに、「学校をつぶさんと直らへん」という市長発言にいたっては、これこそ暴力ではないかと憤っている。しかも「体罰は、生徒や保護者の問題でもある」という発言は、まるで生徒まで加害者であるかのようで、これまた許せない。
さらには「予算の執行権は僕にある」発言は、ときの権力者は教育に介入してはならない、という教育の原理を泥靴で踏みにじる暴言である。
高校生が入試を中止しないでと訴える姿を見て涙が出た。大人の責任問題で、なぜ生徒にこんな辛い思いをさせるのか!近ごろでは、桜宮の在校生や教職員であるだけで、責められているとさえ感じて、電車の中で校章のついたカバンを隠しているという話まで聞き、これまた胸が痛い。
◆体罰肯定は軍国主義の土産
ところで、最近の報道の中で、この国はずっと昔から体罰が許されていたような発言があり、気になっている。そうだろうか。
江戸時代の儒学者、貝原益軒は書いている。「ひどく罵って顔色や言葉を荒立てて悪口を言って、いやしめてはいけない。ただ落ち着いて厳正に戒めよ。これが子弟を教え、人材を養う方法である」。明治時代の福沢諭吉も「しつけ方は、温和と活発とを旨として…手を下して打ったことは一度もない…」と。
ちなみに明治12年の教育令には「凡(およそ)学校ニ於テハ生徒ニ体罰ヲ加フヘカラス」と明記されている。そう、体罰とは無縁の長い歴史があったのだと言う。
では、いつ頃から体罰肯定の空気が出てきたのだろうか。それは「明治22年の教育令改正で師範学校卒業生も兵役義務を負って以後のことと見られる。隊内で手荒くしごかれ、その体験を教室に持ち込んだようだ」と佐藤秀夫氏は『ノートや鉛筆が学校を変えた』の中で述べている。明治33年に体罰禁止規定はあったが、体罰の習慣はそれ以後、多くの学校に残ったのだと言う。
となると、体罰無縁の子育ての思想ははるか500年以上昔からあったのに比し、体罰肯定の動きはわずか120数年ほどだ。しかも、それは「軍国主義の土産」だと言うのだ。ならばなおさら体罰一掃を願う。
今日の教育の動きをみるとき学力、いやスポーツにおいても能力主義、競争主義が色濃く、教職員の評価制度とも相まって、なお一層いじめや体罰に拍車をかけるのではないかと危惧している。だからこそ学校、家庭から体罰をなくすという社会全体の合意を作っていくなかで、いじめ問題と同じく子どもの声を聴き、意見をくみ取っていく取り組みが早急に求められている。
ただ、そのとき、こころしたいことがある。それは「先生がたたいてきびしくしてくれたおかげで、今の自分がある」という、子ども自身が体罰を肯定しているかのような声をどう受け止めるかだ。
それは、実は、たたかれたから成長したのではなく、本気で自分にぶつかって向き合い、寄り添ってくれた先生がいてくれたからだと言っているのだ。今、子どもたちはそういう大人の存在を必死で求めている。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)