奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

高取を歩く

2012年10月28日 | 色々・モシクハお勉強
10月21日(日)
本日は、ぶらり高取歩き。

朝は予定より早めに起きたので、のんびりのんびりしていたら…。
天理駅で、乗るはずの電車が行ってしまいました。
おーまいがっ!

これを乗り逃すと、壷阪山からのバスが30分遅れです。
ひろこさんと独楽さんが壷阪山で合流だったので、
どーしよー!!(叫)と思いましたが。
そういえばお二人とも「奈良ソムリエ」ですし、
あたくしごときが案内しなくても自力で行ける面々です。
なーんだ、ということで平謝りして、先に行っていただくことにして。
無事壷阪寺にて合流できました。

本日の目玉は「秘仏・子島荒神」
子嶋寺・壷阪寺の中興の祖である
真興(しんごう)が感得したと伝えられる荒神像で、
荒神さんのお姿が彫像として残るのは非常に珍しいとのこと。

今回のご開帳は、製作されてから”初めて”の公開!
となれば、今まで絶対に見たことないわけだから、
見たいじゃないですか!!
ってことで、今回の訪問です。

いつもは素通りする、受付の脇の建物が、
今回の特別ご開帳の場でした。
おお、ここって「大講堂」なんだ。意識してなかったよー。
しかし南大門(山門)より外にある大講堂ってのは、どうなんだ…。
まあ、ここの伽藍配置は一般常識が通用しないからなあ。

入ると左手にどかーんと秘仏大公開スペース。
「子島荒神」さんは当然のごとく、中央にでーんと鎮座。
壷阪寺では永らく壷阪荒神として祀られてきたそうです。

え?壷阪荒神なん?子島荒神なん?どっちなん?
子島といえば、子島寺だけど、それと関係あるん?
といったことを”赤いジャンバー着た方”(南都銀行OBさんでしたっけ)に尋ねたら、
「真興さんが子嶋寺と壷阪寺のどちらの寺も監督(をい)していたので、
子島荒神とも、壷阪荒神とも呼ばれる(意訳)」んだそうな。

子島寺は今では壷阪寺よりも規模の小さなお寺だけど、
かつては南都七大寺に劣らない寺域をもち、広大な伽藍だったとのこと。
しかし、今日では壷阪寺の方が寺域も、勢力も大きいゆえに、
荒神さんは壷阪寺で管理することになったのではないかな。

余談ながら。
子島寺といえば、子島寺曼荼羅。
あれは、その、真興が、一条天皇の病気平癒を祈祷して、天皇の病が癒えた
恩賞として天皇より下賜されたもの。
曼荼羅図は京都から持ち帰る際には空を飛んできたという(笑)
ことから「飛行曼荼羅」ともいわれています。
以上、奈良検定ネタね♪

今回はこれが目的だったので、あとはどうでもいいのだけど(をい)。
先に本堂を見に行っていた先発隊を追いかけて山をあがると、
なぜかお里&沢市の像の前で、マッサージを受けているではありませんか。
奈良県のマッサージ協会(?)の方のボランティアにより、
肩もみと鍼(!)のサービス(もちろん無料)があったそうです。
普段お疲れのお二人は、心地よく揉みほぐされておりました(笑)

八角堂におわす本尊十一面千手観世音菩薩に再会していたら、
外ではモクモクモクとものすごい煙。
どうやら外で、護摩を炊いているようで、
慌ててお寺の人がお堂の扉を閉めにきましたわ。
今までに納めた護摩を焼いているようで、
一般の人も護摩木を火中に投じるお手伝いができたようですが、
なんか恐れ多くて今回はご遠慮申し上げました。

壷阪寺ワンダーランドは、山の上にも「天竺渡来大観音石像」や、
「天竺渡来大涅槃石像」などのエキゾチックじゃぱーんな空間もあるけど、
今回はさくっとカット。
次のバスで下界へ戻ります。

バスでぐるぐる降りるとすぐなんだけどねー。
歩いて登ってくるのは難儀だったことだろうな。
バスを終点から一つ前で降りて、土佐街道へと入ります。

そこからは「案山子めぐり」の会場です。
いきなり視界に入ってきたのは「アルミ缶で作った高取城天守閣」
ビールの空き缶で作られたお城として、ギネスブックにも登録されているんだとか。
おお、これも奈良検定問題に出るんじゃないの?
「ミシュラン」のみならず「ギネス」にも載ってる奈良!

コスモス畑の中には牛(もちろんそれも案山子(?))
そこここにいる案山子なので、実は人間だと思っていたら、
実は案山子だったなんてこともこののちたびたび起こりまして…笑えた。

土佐街道の「noconoco」でランチを取って、
いざ、土佐街道沿いのかかしさんたちをぶらぶら歩きながら見学。
一番笑ったのが、noconocoさんの建物の向かいで、
地べたに座って井戸端会議をしているおとーさんとおかーさん。
実に背中がリアルで、思わず「暑くありませんか?」と声をかけそうになりました。
いや、本当に、よくできているのよ。びっくりするくらい。

途中の商店でも、ショーケースを覗き込んでいるお客さんとか、
店番をしている前掛け姿のおじちゃんとか、
みんなみんな案山子?!

「乳母車に案山子乗せて歩いても、誰も気がつかないかもね」
「おんぶして歩いてもいいんじゃない?」
どんどん妄想をエスカレート♪

本日はポカポカ天気で、かなりの人出があって盛況でした。
高取町はこういう行事が上手いですね。
春は「雛めぐり」秋は「案山子めぐり」
こういうのは都会ではなかなか発想が出てこんでしょう。

最後に子島寺に行ったら、なぜかここも雰囲気が変わっていた…。
山門前には「諸般の事情により、南都七福八宝の大黒天の担当を外れる
ことになりましたので、大黒天の朱印は長谷寺で受けてください(意訳)」
との旨を告げる看板が立っていて、境内はひっそり。
しかも、本堂も開いてなくて、受付もしまっている。
えええ?!なぜ?
いつから南都七福八宝から外れちゃったんだろう?

境内はきれいに掃除されてて、今あげたとおぼしき蝋燭と線香も
あがっていたのだけど、人影がない。
なんだか狐につままれた感じで退散しました。

しょうがない。子島寺で待ったりする予定だったのだけど、
思いがけず時間が空いてしまったので、急遽調べて、
興福寺の仮金堂特別開帳に行くことに。

電車乗り継いで近鉄奈良へ。そして興福寺へ。
前回仮金堂が開いたのは、阿修羅くんの凱旋帰国記念(をい)の、
『お寺でみる阿修羅』の時以来。
あの時は、国宝館が改修工事中で、仮金堂の中で
みっしり八部衆を詰め込んでの公開でしたが。
あれからもう三年もたっちゃいましたかね。

興福寺の現在の仮金堂は、薬師寺の仮金堂のお古(笑)
薬師寺がお写経勧進で金堂再建のめどが立って取り壊され、
その木材をもらってきて建てたのが、現・興福寺の仮金堂。
しかし現在、阿修羅くんのドサまわりが功を奏して、
興福寺も金堂が再建されることとなり、
新金堂が完成の暁には取り壊される運命にある。
この由緒正しい仮金堂、次はどこへ行くのでしょうか。

それはともかく、中央に鎮座まします釈迦如来坐像さん。
かなり頭が窮屈です。
まあ、オーダーメイドの寸法じゃなくて、
もらってきた金堂に押し込めてるから仕方ないのですが。
この金堂の寸法ではどうやって入れたんだろう?

ということを疑問を呈したら
「光背がずれてる気がするの」
「ちょっと光背の位置が低いと思う」
「光背が入らないから、下へずらしていると思う」
おおお、そういわれてみれば、光背の雪だるま型の影と、お姿が合ってない。
ということが即座に判るなんて、さすがは奈良オタクの面々だ。
勉強になるわ~。

あげく、気づくとなぎさんは外人さんに英語で説明をしており、
「おおおお、すごーい☆」
私もいつかはぺらぺらになりたい
>中国語だけど。

とにかくゆっくりと中金堂と興福寺を巡回して、
駅中でお土産を調達し、最後の集会地、西大寺へ移動。
駅前のイタメシ屋「piano」にて飲み会。
飲めや歌え(歌ってない)の大騒ぎをして楽しく過ごしました。

はー、久しぶりに奈良を堪能しました。
遊びすぎてシンデレラになれず、自宅に帰ってみたら午前様でしたが…。
(近鉄特急をケチって、再び急行乗り継いで帰ったのが敗因だ)

今回はリハビリを兼ねてのんびり歩けましたので、
いつものようにバタバタしてなくてよかったよかった。
また次回からは、あちこちと精力的に回りたいと思います。

また一緒に歩いてくださいましね>all
コメント (4)
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