わんわん(違います)
★
神戸市の男の子が、公園で遊んでいる時に拾った物体が、
なんと青銅鏡の一部だったことが判明したニュースにはびっくりしました。
調べてみたら、西求女塚古墳(にしもとめづかこふん)から出土していた
重要文化財の青銅鏡の一部と判明したんだとか。
”金属片は、小学1年だった佐野君が同古墳を整備した公園で遊んでいた時、
緑色に光る破片を見つけて持ち帰り、
「宝物」を納めるポーチに入れて机の中で保管していた。”
いい子やのぉー。
捨てないでいてくれて有難うやね。
ニュースで見た情報によれば、社会科の教科書に載っていた青銅鏡が、
自分の持っている「宝物」によく似ているので先生に相談して、
校長先生が教育委員会に連絡したそうな。
教育委員会側も「まー、勘違いでしょう」と思ったものの、
写真を送ってくださいというので、送ってみた。
で、どうせ違うだろうと思っていた教育委員会のおかた。
送られてきた写真を見たところ…げ、げげげ!現物を見せてください!!!
ということになったらしい。
結局はやはり本職に判断を仰いで、
”奈良文化財研究所(奈良市)が鑑定して、同鏡の一部と判明した。”
ということに。
重文指定になっている鏡の欠けている部分に、
その破片はぴったり合致するとのことなので、
まさに最後のワンピースって感じ。
あると無しでは全然違うものですから、
またに世紀の発見。
その古墳の脇は公園になっており、その公園で鬼ごっこをしている時に拾った
(掘ったのではない。本人談として『ポンと地面に置いてある感じ』)
というのだから、まだまだ土中にも何かがないとも限らない。
★
この話を聞いて、水野正好先生が奈良大のセンセだった頃のことを思い出しました。
まだ奈良大が宝来町にあった頃(私は知らんのだが…設立当時はあっちにあったらしい)
近鉄西大寺駅から歩いて大学へ通って来る途中に、「西大寺」があるのだが、
その中を通って通っている奈良大生諸君に水野先生は、
「いいかね、あそこを通っていて、何か発見したら私に教えるんですよ」
「教えるんですよ」
と繰り返し言っていたらしい。
まあ、西大寺の境内を掘り返すわけにはいかないから、
落ちているものがあったら教えなさい程度のことだったはずだけど、
その言葉をまに受けた学生がいたのやもしれない。
西大寺の塔跡はその当時(今から四半世紀前)ロープ張ってなくて、
基壇まで階段で上がれるようになっていたらしいのだけど、
現在は上へあがれないようになっている。
どうやら、その原因は水野センセらしいのだけど…。
前出の発言が関係しているらしい、とかとか★
掘ったわけでもないのに、古墳の埋葬品が土中ではなく土の上に落ちていたのなら、
それが西大寺でも、東大寺でも、興福寺でも、あるのかもなーなんて…思わんか★
さすがに毎日掃き清められているであろう境内では無理かな。
誰も掘ったことのない古墳ならばありえるんだろうけど。
まだまだ土中に埋まっているであろうもののことを思うと、
まだまだワクワクできることってあるんだなーと思います。
ドラえもんがいたら「なんでもリサーチぃ~♪」とかって、
土中を照らすだけで中身がわかるライトとか出してもらうんだけどな。
(どこでもドアで邪馬台国に行くのでもイイ)
古代から現代に直通ドアが開いたかのような出来事でした。
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神戸市の男の子が、公園で遊んでいる時に拾った物体が、
なんと青銅鏡の一部だったことが判明したニュースにはびっくりしました。
調べてみたら、西求女塚古墳(にしもとめづかこふん)から出土していた
重要文化財の青銅鏡の一部と判明したんだとか。
”金属片は、小学1年だった佐野君が同古墳を整備した公園で遊んでいた時、
緑色に光る破片を見つけて持ち帰り、
「宝物」を納めるポーチに入れて机の中で保管していた。”
いい子やのぉー。
捨てないでいてくれて有難うやね。
ニュースで見た情報によれば、社会科の教科書に載っていた青銅鏡が、
自分の持っている「宝物」によく似ているので先生に相談して、
校長先生が教育委員会に連絡したそうな。
教育委員会側も「まー、勘違いでしょう」と思ったものの、
写真を送ってくださいというので、送ってみた。
で、どうせ違うだろうと思っていた教育委員会のおかた。
送られてきた写真を見たところ…げ、げげげ!現物を見せてください!!!
ということになったらしい。
結局はやはり本職に判断を仰いで、
”奈良文化財研究所(奈良市)が鑑定して、同鏡の一部と判明した。”
ということに。
重文指定になっている鏡の欠けている部分に、
その破片はぴったり合致するとのことなので、
まさに最後のワンピースって感じ。
あると無しでは全然違うものですから、
またに世紀の発見。
その古墳の脇は公園になっており、その公園で鬼ごっこをしている時に拾った
(掘ったのではない。本人談として『ポンと地面に置いてある感じ』)
というのだから、まだまだ土中にも何かがないとも限らない。
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この話を聞いて、水野正好先生が奈良大のセンセだった頃のことを思い出しました。
まだ奈良大が宝来町にあった頃(私は知らんのだが…設立当時はあっちにあったらしい)
近鉄西大寺駅から歩いて大学へ通って来る途中に、「西大寺」があるのだが、
その中を通って通っている奈良大生諸君に水野先生は、
「いいかね、あそこを通っていて、何か発見したら私に教えるんですよ」
「教えるんですよ」
と繰り返し言っていたらしい。
まあ、西大寺の境内を掘り返すわけにはいかないから、
落ちているものがあったら教えなさい程度のことだったはずだけど、
その言葉をまに受けた学生がいたのやもしれない。
西大寺の塔跡はその当時(今から四半世紀前)ロープ張ってなくて、
基壇まで階段で上がれるようになっていたらしいのだけど、
現在は上へあがれないようになっている。
どうやら、その原因は水野センセらしいのだけど…。
前出の発言が関係しているらしい、とかとか★
掘ったわけでもないのに、古墳の埋葬品が土中ではなく土の上に落ちていたのなら、
それが西大寺でも、東大寺でも、興福寺でも、あるのかもなーなんて…思わんか★
さすがに毎日掃き清められているであろう境内では無理かな。
誰も掘ったことのない古墳ならばありえるんだろうけど。
まだまだ土中に埋まっているであろうもののことを思うと、
まだまだワクワクできることってあるんだなーと思います。
ドラえもんがいたら「なんでもリサーチぃ~♪」とかって、
土中を照らすだけで中身がわかるライトとか出してもらうんだけどな。
(どこでもドアで邪馬台国に行くのでもイイ)
古代から現代に直通ドアが開いたかのような出来事でした。