例年どおり、奈良検定受検記念ウォーキング(非公式)に行ってきました♪
今年は諸般の事情(?)から試験翌日にではないので、
一日まるまるが二日間っていうスケジュールで、盛りだくさんでした。
一日目は1月15日でありましたので、西大寺で。
それは何故かと問われたら、その日は西大寺で「大茶盛り」が行われるから♪
昔むかし1月15日ってのは「成人の日」ってカレンダーでしたので、
新成人の人が成人式帰りに振袖で立ち寄るって華やかな行事でありましたが。
いつの間にかこの日は成人の日ではなくなり、
我々が参加したときには「成人式二回目以上」って年齢層が多かったです(笑)
本日の同行者はなぎさん。
二度目の成人式以上組でお送りいたします(ははは)
大茶盛りてのは、奈良検定受験者にはお馴染みな行事。
鎌倉時代に西大寺中興の祖・叡尊が、修正会の結願の際に、
西大寺の鎮守社に茶を献じて、その余服を参詣者にふるまったことに始まるというもの。
光明殿という新しい建物で行われるというので行ってみると、
第一回目の人員は足りたそうで、二回目のご案内まで
しばしこちらでお待ち下さいと広間に通されました。
およそ一時間に一度ほどの開催のようで、しばらくおしゃべりなどしていたら、
「どうぞこちらに」と通された大広間。
大茶盛りの映像は毎年(毎シーズン)見てはいたものの、
参加したのは初めてだったもんですから、おお、こんなところでしてるのかと。
入って左手の床の間には綿をかぶせた松の木と、同じく綿で化粧された小さなお社。
「おおお、神社でクリスマスツリー?!」(チガイマス)
大茶盛りってのは、文字通りお抹茶が供されるものだから、赤い毛氈が引いてあって、
そこへ点てられたお茶が淡々と供されるものかと思っていたら、
坊様が現れて、まずは「大茶盛り」のいわれなどの説明をして下さいました。
「叡尊さんが雪の中の鎮守社で茶を献じたという故事にちなんで、
こうして「雪の鎮守社」の姿を、室内でも再現しているんです。
けっしてクリスマスツリーではありません」
ズキン!
あははは…見透かされているようで、ひたすら苦笑いです。
その当時お茶というのは気軽な飲料ではなく「お薬」。
非常に高価なもので、およそ庶民が気軽に口にできるものではなかったもの。
その当時は「抹茶椀」なんてものもなく、
どんぶりなどのたぐいで茶を点てて振舞ったそうですが。
あまりに多くの人に一度に振舞うために、
器が大きくなっていったっていう風にも伝え聞いています。
で、何故これを「茶盛り」というのかというと。
西大寺には「不飲酒(ふおんじゅ)」という戒律があり、
まさに「酒(アルコールのみならず、体に害をなすすべてのもの)」を
飲んではならないとの教えを守るため、普通だったら「酒盛り」をする場面を、
西大寺では「茶盛り」とすることになったとのこと。
「ある限度までは薬であるが、それを超えると毒になる」
よって酒もほどほどであれば百薬の長と呼ばれるが、
限度を超えて飲めば体に害を成すものである、と。
西大寺ではもともと酒は飲めないって”建前”なので、
酒盛りならぬ、茶盛りでございます。
そして、目の前の巨大なお茶道具を手に、お茶が点てられるのですが。
そのすべてがデカイ!のです。
バケツのような茶碗と、竹箒のような茶筅、そして孫の手のような茶杓。
笑いを禁じえない光景に、さっきまで緊張していた我々も自然と笑ってしまうことに。
何もかもがすべてデカイ!
お茶碗の縮尺間違ってません?!
大茶盛りの時だけ供されるお茶菓子
大茶盛りといえばやはり、振袖姿のきれいどころが、両脇の人に手伝ってもらって、
大きな茶碗に顔を突っ込むようにしてお茶を飲んでいる図を思い浮かべますが。
実際には、一人でその茶碗、持つことは可能でした。
ちゃんちゃん★
まあ、私が力持ちだっていうのは否定しないけど、
結構一人で持ち上げて飲んでいる人もいましたわよ。
もちろん、両脇の人に支えてもらっている人もいたけど、
私の場合は、人のペースで茶碗を傾けられたら、口の端からこぼされそうで怖かったし。
なぎさん談によれば、
一時期は確かに一人では持てないほど大きな(重い)茶碗だったようですが、
最近の茶碗はそれほどまでには大きくなくなったとのこと。
お隣りの方もお一人で飲まれてましたし
確かに、床の間に飾られたお茶碗は今のものよりも大きいように見えましたが、
現在はさすがにそこまで大きなお茶碗は少なくなったようです。
(ある時、「事故」が起こって、若干小さいお茶碗になったのかなあとか
妄想してみましたが…「事故」が起こったってハナシは聞いたことないけど)
そのうち、お茶をいただいた方々は、茶碗を前に写真撮影をしたり、
お茶碗をひっくりかえして「拝見」したり、場が和気藹々としてきたところで、
ケーブルテレビさんの生中継が入ることになり、興味津々。
キャピキャピッ☆としたレポーターさんが大きなお茶碗に顔を突っ込んでのレポートを間近で拝見し、
終わると一堂で拍手。
いろんなお茶碗がありました
最後は巨大なお茶道具の写真撮影をぱしゃぱしゃ。
本堂をお参りしておいとましました。
これが、当時の八幡様を模した様子
本日は正午あたりが一番の雨ということで、とりあえずのんびりしてランチすることに。
西大寺の北側のカフェ・ルーディーっていうお店で。
せまーい路地の中にある、隠れ家的カフェなんですが、
夜はバーにもなるオシャレなお店で、名物のロコモコを頂きました。
限定10食だったんだけど、雨のせいかめでたくありつけまして、
デザート&コーヒーも堪能して、奈良検定の総括など(笑)
名物ロコモコ
デザートセット
一時間以上滞在しても雨は一向に止みませんが、
とりあえず勝手知ったる西ノ京をウロウロする予定なので、
のらりくらりと歩きだすことに。
さて、どこに行こうかということになって、今日はやっぱり西大寺の鎮守社でしょう!ってことに。
前々から、なぎさんに西に行ったところに西大寺の鎮守社があるよって聞いていたものの、
行ったことはなかったで。本日の大茶盛りもその鎮守社で行われたことが起源だというし、
それにふさわしい日なので、行ってみることに。
西大寺の南大門を出て西へ行く道のドンつきに、
その奥に続く長い参道があって、てくてくと歩いていくと、ありました
>西大寺の鎮守社、八幡社。
ここが、その、鎮守さんだそうで。
今日、お参りが出来てウレシイ限りです。
長い参道の先にはこじんまりとしたお社。
だけど、由緒正しそうなたたずまいが物凄く素敵な神社でした。
奥から参道を望むの図
そこから喜光寺へ。
去年も奈良検定の受験者の皆様が実力を発揮できますようにってここで
お願いしましたっけね
>みなさま実力は発揮されたでしょうか(フフフ)
ここで一年ぶりにお写経をしていくことにして。
(去年初めて「いろは写経」したのだ)
写経の後は、お接待で抹茶をいただき、本日二度目の”お茶”です。
昔は薬だった筈のものなのに、こんなに気軽にいただけるようになるなんてね。
弘法大師ありがとう!
(※お茶の木伝来の起源には諸説ありますが…奈良検定的にはこの方)
喜光寺は本日まで「宇賀神」という、
顔が老人で、体が蛇というケッタイな(をい)神様が拝めるというので、弁天堂でお顔を拝し。
いろは写経の浄財で建てられた行基堂をお参りしたり、
本堂で阿弥陀さまに再会したり。
その後は歩いたことがない所を歩いてみようってんで、
喜光寺から東へちょっと行ったところの、
阪奈道の下を通り抜けるルートを通って南側へ出て、一路垂仁天皇陵へ。
いつもは電車道から見える道路を通るのだけど、
陵の西側はどうなってんだろう?ってことで、そちら側の道から行ってみることに。
人生何ごとも経験だ!
途中、謎の門だけの家(跡)を発見したり、
田んぼ道の中を突っ切ってみたり、
古墳の縁の堤に登りついたりと、
おばさん二人組はやりたい放題です♪♪
途中にあった皇大神社は「本日のドンド焼きは雨天順延」の張り紙があったり、
境内では成っているクチナシの実を実際に見られたりと発見も。
横道にそれることもまた楽しからずや。
「あれ絶対に古墳だよね」っていう小山の近くから、
垂仁天皇陵わきの普段の道に戻って、
一路正統な道(?)を通って唐招提寺へ。
ここも初めて来た時は、ほこり舞う、狭い砂利道だったっけ。
そして、唐招提寺まで歩いてきて、唐招提寺に入らないという贅沢(笑)
唐招提寺を軽やかに素通りして、とりあえずここまできたら、薬師寺方面へ。
しかし、案の定というか、薬師寺には入らず(ははは)、
孫太郎稲荷神社と休ケ岡八幡宮に行きました。
今日は西大寺の鎮守社に行ったことだし、
薬師寺の鎮守社で締めるってのもいいんでは?とニマニマ。
近鉄で行くとどうしても北側から入って、北側かから帰ることが多いので、
南門を見たのも久しぶり(笑)
南門わきの壁はオンボロで、水溜りも出来てる…昔は全体がこんな感じだったんだろうなあ
車で薬師寺来た時は、こちらの駐車場方面からくることがあるけど、
圧倒的に電車で来ることが多いので、こっちから入らないしなあ。
でも、休ケ岡八幡宮前には
『薬師寺への参拝は、まず、この休ケ岡八幡宮にお参りして、
身を清めてから、薬師寺へというお作法が伝えられています』
って書かれた看板が立っているのだけど…。
そんなの、北側(近鉄西ノ京駅出たあたり)に書いておいて下さいよ…。
まあ、近鉄の駅がもうちょっと南に出来ていれば、
そんなことにもならなかったんだろうけどね(ははは)
孫太郎稲荷神社
休ケ岡八幡宮は何故か門が閉まっていた…(いつから閉門するようになったんだろ)
そして本日の最後に、アムリットでコーヒー。
本日は、お茶飲んで、コーヒー飲んで、またお茶飲んで、コーヒー飲んで★
茶ポン茶ポンでございます。
アムリットの店前で丸くなっていた猫さん
ということで、一日目の予定は終了。
一路本日のお宿を目指して橿原線を南下して、飛鳥駅から祝戸荘へ入りました。
(つづく)
今年は諸般の事情(?)から試験翌日にではないので、
一日まるまるが二日間っていうスケジュールで、盛りだくさんでした。
一日目は1月15日でありましたので、西大寺で。
それは何故かと問われたら、その日は西大寺で「大茶盛り」が行われるから♪
昔むかし1月15日ってのは「成人の日」ってカレンダーでしたので、
新成人の人が成人式帰りに振袖で立ち寄るって華やかな行事でありましたが。
いつの間にかこの日は成人の日ではなくなり、
我々が参加したときには「成人式二回目以上」って年齢層が多かったです(笑)
本日の同行者はなぎさん。
二度目の成人式以上組でお送りいたします(ははは)
大茶盛りてのは、奈良検定受験者にはお馴染みな行事。
鎌倉時代に西大寺中興の祖・叡尊が、修正会の結願の際に、
西大寺の鎮守社に茶を献じて、その余服を参詣者にふるまったことに始まるというもの。
光明殿という新しい建物で行われるというので行ってみると、
第一回目の人員は足りたそうで、二回目のご案内まで
しばしこちらでお待ち下さいと広間に通されました。
およそ一時間に一度ほどの開催のようで、しばらくおしゃべりなどしていたら、
「どうぞこちらに」と通された大広間。
大茶盛りの映像は毎年(毎シーズン)見てはいたものの、
参加したのは初めてだったもんですから、おお、こんなところでしてるのかと。
入って左手の床の間には綿をかぶせた松の木と、同じく綿で化粧された小さなお社。
「おおお、神社でクリスマスツリー?!」(チガイマス)
大茶盛りってのは、文字通りお抹茶が供されるものだから、赤い毛氈が引いてあって、
そこへ点てられたお茶が淡々と供されるものかと思っていたら、
坊様が現れて、まずは「大茶盛り」のいわれなどの説明をして下さいました。
「叡尊さんが雪の中の鎮守社で茶を献じたという故事にちなんで、
こうして「雪の鎮守社」の姿を、室内でも再現しているんです。
けっしてクリスマスツリーではありません」
ズキン!
あははは…見透かされているようで、ひたすら苦笑いです。
その当時お茶というのは気軽な飲料ではなく「お薬」。
非常に高価なもので、およそ庶民が気軽に口にできるものではなかったもの。
その当時は「抹茶椀」なんてものもなく、
どんぶりなどのたぐいで茶を点てて振舞ったそうですが。
あまりに多くの人に一度に振舞うために、
器が大きくなっていったっていう風にも伝え聞いています。
で、何故これを「茶盛り」というのかというと。
西大寺には「不飲酒(ふおんじゅ)」という戒律があり、
まさに「酒(アルコールのみならず、体に害をなすすべてのもの)」を
飲んではならないとの教えを守るため、普通だったら「酒盛り」をする場面を、
西大寺では「茶盛り」とすることになったとのこと。
「ある限度までは薬であるが、それを超えると毒になる」
よって酒もほどほどであれば百薬の長と呼ばれるが、
限度を超えて飲めば体に害を成すものである、と。
西大寺ではもともと酒は飲めないって”建前”なので、
酒盛りならぬ、茶盛りでございます。
そして、目の前の巨大なお茶道具を手に、お茶が点てられるのですが。
そのすべてがデカイ!のです。
バケツのような茶碗と、竹箒のような茶筅、そして孫の手のような茶杓。
笑いを禁じえない光景に、さっきまで緊張していた我々も自然と笑ってしまうことに。
何もかもがすべてデカイ!
お茶碗の縮尺間違ってません?!
大茶盛りの時だけ供されるお茶菓子
大茶盛りといえばやはり、振袖姿のきれいどころが、両脇の人に手伝ってもらって、
大きな茶碗に顔を突っ込むようにしてお茶を飲んでいる図を思い浮かべますが。
実際には、一人でその茶碗、持つことは可能でした。
ちゃんちゃん★
まあ、私が力持ちだっていうのは否定しないけど、
結構一人で持ち上げて飲んでいる人もいましたわよ。
もちろん、両脇の人に支えてもらっている人もいたけど、
私の場合は、人のペースで茶碗を傾けられたら、口の端からこぼされそうで怖かったし。
なぎさん談によれば、
一時期は確かに一人では持てないほど大きな(重い)茶碗だったようですが、
最近の茶碗はそれほどまでには大きくなくなったとのこと。
お隣りの方もお一人で飲まれてましたし
確かに、床の間に飾られたお茶碗は今のものよりも大きいように見えましたが、
現在はさすがにそこまで大きなお茶碗は少なくなったようです。
(ある時、「事故」が起こって、若干小さいお茶碗になったのかなあとか
妄想してみましたが…「事故」が起こったってハナシは聞いたことないけど)
そのうち、お茶をいただいた方々は、茶碗を前に写真撮影をしたり、
お茶碗をひっくりかえして「拝見」したり、場が和気藹々としてきたところで、
ケーブルテレビさんの生中継が入ることになり、興味津々。
キャピキャピッ☆としたレポーターさんが大きなお茶碗に顔を突っ込んでのレポートを間近で拝見し、
終わると一堂で拍手。
いろんなお茶碗がありました
最後は巨大なお茶道具の写真撮影をぱしゃぱしゃ。
本堂をお参りしておいとましました。
これが、当時の八幡様を模した様子
本日は正午あたりが一番の雨ということで、とりあえずのんびりしてランチすることに。
西大寺の北側のカフェ・ルーディーっていうお店で。
せまーい路地の中にある、隠れ家的カフェなんですが、
夜はバーにもなるオシャレなお店で、名物のロコモコを頂きました。
限定10食だったんだけど、雨のせいかめでたくありつけまして、
デザート&コーヒーも堪能して、奈良検定の総括など(笑)
名物ロコモコ
デザートセット
一時間以上滞在しても雨は一向に止みませんが、
とりあえず勝手知ったる西ノ京をウロウロする予定なので、
のらりくらりと歩きだすことに。
さて、どこに行こうかということになって、今日はやっぱり西大寺の鎮守社でしょう!ってことに。
前々から、なぎさんに西に行ったところに西大寺の鎮守社があるよって聞いていたものの、
行ったことはなかったで。本日の大茶盛りもその鎮守社で行われたことが起源だというし、
それにふさわしい日なので、行ってみることに。
西大寺の南大門を出て西へ行く道のドンつきに、
その奥に続く長い参道があって、てくてくと歩いていくと、ありました
>西大寺の鎮守社、八幡社。
ここが、その、鎮守さんだそうで。
今日、お参りが出来てウレシイ限りです。
長い参道の先にはこじんまりとしたお社。
だけど、由緒正しそうなたたずまいが物凄く素敵な神社でした。
奥から参道を望むの図
そこから喜光寺へ。
去年も奈良検定の受験者の皆様が実力を発揮できますようにってここで
お願いしましたっけね
>みなさま実力は発揮されたでしょうか(フフフ)
ここで一年ぶりにお写経をしていくことにして。
(去年初めて「いろは写経」したのだ)
写経の後は、お接待で抹茶をいただき、本日二度目の”お茶”です。
昔は薬だった筈のものなのに、こんなに気軽にいただけるようになるなんてね。
弘法大師ありがとう!
(※お茶の木伝来の起源には諸説ありますが…奈良検定的にはこの方)
喜光寺は本日まで「宇賀神」という、
顔が老人で、体が蛇というケッタイな(をい)神様が拝めるというので、弁天堂でお顔を拝し。
いろは写経の浄財で建てられた行基堂をお参りしたり、
本堂で阿弥陀さまに再会したり。
その後は歩いたことがない所を歩いてみようってんで、
喜光寺から東へちょっと行ったところの、
阪奈道の下を通り抜けるルートを通って南側へ出て、一路垂仁天皇陵へ。
いつもは電車道から見える道路を通るのだけど、
陵の西側はどうなってんだろう?ってことで、そちら側の道から行ってみることに。
人生何ごとも経験だ!
途中、謎の門だけの家(跡)を発見したり、
田んぼ道の中を突っ切ってみたり、
古墳の縁の堤に登りついたりと、
おばさん二人組はやりたい放題です♪♪
途中にあった皇大神社は「本日のドンド焼きは雨天順延」の張り紙があったり、
境内では成っているクチナシの実を実際に見られたりと発見も。
横道にそれることもまた楽しからずや。
「あれ絶対に古墳だよね」っていう小山の近くから、
垂仁天皇陵わきの普段の道に戻って、
一路正統な道(?)を通って唐招提寺へ。
ここも初めて来た時は、ほこり舞う、狭い砂利道だったっけ。
そして、唐招提寺まで歩いてきて、唐招提寺に入らないという贅沢(笑)
唐招提寺を軽やかに素通りして、とりあえずここまできたら、薬師寺方面へ。
しかし、案の定というか、薬師寺には入らず(ははは)、
孫太郎稲荷神社と休ケ岡八幡宮に行きました。
今日は西大寺の鎮守社に行ったことだし、
薬師寺の鎮守社で締めるってのもいいんでは?とニマニマ。
近鉄で行くとどうしても北側から入って、北側かから帰ることが多いので、
南門を見たのも久しぶり(笑)
南門わきの壁はオンボロで、水溜りも出来てる…昔は全体がこんな感じだったんだろうなあ
車で薬師寺来た時は、こちらの駐車場方面からくることがあるけど、
圧倒的に電車で来ることが多いので、こっちから入らないしなあ。
でも、休ケ岡八幡宮前には
『薬師寺への参拝は、まず、この休ケ岡八幡宮にお参りして、
身を清めてから、薬師寺へというお作法が伝えられています』
って書かれた看板が立っているのだけど…。
そんなの、北側(近鉄西ノ京駅出たあたり)に書いておいて下さいよ…。
まあ、近鉄の駅がもうちょっと南に出来ていれば、
そんなことにもならなかったんだろうけどね(ははは)
孫太郎稲荷神社
休ケ岡八幡宮は何故か門が閉まっていた…(いつから閉門するようになったんだろ)
そして本日の最後に、アムリットでコーヒー。
本日は、お茶飲んで、コーヒー飲んで、またお茶飲んで、コーヒー飲んで★
茶ポン茶ポンでございます。
アムリットの店前で丸くなっていた猫さん
ということで、一日目の予定は終了。
一路本日のお宿を目指して橿原線を南下して、飛鳥駅から祝戸荘へ入りました。
(つづく)