(いつもながらの過去の記録。何をいまさらシリーズです)
平成30年5月4日(金・祝)
薬師寺へ行ってきました。
先日薬師寺へ行ったときに、東塔の瓦を一枚寄進したら、
このGW期間中に東塔の特別公開をしてくれるとのハガキをもらいました。
薬師寺の工事現場を見るのは実は初めてだし、行く行く!ってことで、
本来予定してなかったんですが急きょ行くことに。
行ってみて分ったことなんですが、
事前に瓦の奉納をしていた人のみの招待ではなく、
当日、薬師寺に来た人も、その場で瓦の奉納をしたら、
その場ですぐ、入れるようでした。
なーんだ(謎)
それはいいとして。
それまでは神秘のベールに包まれていた、
東塔の建築現場に入れるってんでドキドキワクワク。
受付にハガキを出して、ヘルメットをかぶって、急な坂道を登って、
自由観覧でした。
「写真は自由にとっていいですよー」
「でもSNSでネット上にアップするのはご遠慮くださいね」
っていわれちゃったので、
写真は無しです。(ま、無理ないですね)
以下、文章のみでお伝えします(て私の場合写真無しも多いから普段通りか)
私が見学ルートに上がっていったときに、
ちょうど前の組(?)の坊様による説明が終わったばっかりだったので、
しばらくはぐるぐると四方八方から塔を見て回っていました。
どうやら、私がいる場所は三階(覆屋3階)らしい。
一気に三階まで登ってきて、その後おりながら見学ということらしい。
目の前の”屋根”は二層目の裳階らしく、その上には二層目の屋根。
手を伸ばせばさわれるほどの距離にある1300年まえの木材。
これがずっとここにあったんだなあって。
なんだかまだよく実感がない。
とりあえず三階部分をぐるっと一周してみると、
周囲にある金堂や講堂、西塔などが目に入り、
地上にいる人が小さく見えます。
ここから見えている風景の建物はすべて再建された建物。
この東塔こそが、1300年ここに立ち続けたもの。
THE・薬師寺みたいなもの。
お写経勧進で薬師寺の伽藍が復興される前は、
東塔だけが遠くから見えて、「あの塔のあたりが薬師寺」って目印だったはず。
東塔、よく頑張った!
他の堂宇が失われていく中で、すくっと立ち続けた君はエライ!
いつもこういう”工事現場”に来ると思うのだけど、
完成したらここからの景色ってもう見られないのよねっていう感慨。
(今だったらドローン映像とかあるけど)
目の前にある裳階だの垂木だのって下から見上げたら、
この角度ではもう二度と見られないんだよなあって思ったら、うるうる。
奈良大学の授業で唐招提寺の”工事現場”を見に行ったことがあって。
その時の引率は水野正好先生。
「センセ―、なんで工事現場なんて見に来るんですか?
って言われたことがあってんけどな。
こんな現場ってこの先千年見られませんやろ?
完成したらずっと見られるもの見るよりも、
今しか見られないもん見た方がええでっしゃろ?」
ごもっとも。
名言でした。
納得納得。
それ以来私は”工事現場”を愛でてきました。
「センセ―、薬師寺の屋根見たで~」
と心の中でご報告。
そうこうしているうちに、何やら坊様が一人現れて、
説明をしてくださるらしい。
おお、待ってました!
ご説明は加藤執事。
「みなさんこんにちは~少しご説明をさせていただきますので、
どうぞこちらへお集まりください」
坊さんなのでマイクなしでも声は通る。
でも手にはマイク。
そして、足元にはBOSE(ぼーず)のスピーカー。
坊主の話をBOSEが伝える。
むむむ…じわじわくる…(笑)
これ、狙ってます?ほんと、狙ってます?
そんなことにウケている私は少数派。
皆さん、どんな説明が行われるかワクテカでお待ちです。
とりあえずの薬師寺の”お約束”から入る。
いわゆる「ツカミ」の部分。
「この薬師寺の東塔、何重の塔ですか?」
「さんじゅー」
「……。この塔は何重の塔ですか?」
「サンジュー」
この東塔に瓦を寄進するような人たちですから、
東塔が三重塔だというのは常識です(笑)
しかし、これが修学旅行生相手だと「五重塔!」って返事があって、
そのツッコミから話が転んで行ったりするのですが。
つまり、これは様式美としてのお約束。
「自信なさそうに言わなくていいですよ。もう一度聞きますよ?
何重の塔ですか?」
「ごじゅう…?(笑)」
ニヤリ。
この質問には五重塔と答えていただいてこそ、話が先に進みます。
でも屋根をしたから数えていくと、一つ、二つ三つ四つ、五つ…六つありますね。
でも、六重塔ではない。大きな屋根の下に小さな屋根があって、この小さい屋根を
ご存知の通り裳階といいます。
これが何故、屋根ではないかというと、
この奥に部屋がないからですね。
開口部(扉が開く部分)があるところが床がはってある場所。
薬師寺の塔はよく、美しい、凍れる音楽といわれますが、
何故薬師寺の塔は美しいと感じるのか?
わたしも薬師寺に入って、解体工事をするまで知らなかったのですが、
それを現在目の当たりにできるので見て行って下さい。
われわれの目につく外壁は柱と柱の間が白い壁になっていて、
外側の壁には四角い柱が使われています。
しかし、実際に塔を支えているのはその内側の丸い柱。
丸裸になっていてわかったことは、
重さを支えているのが奥(内側)の丸い柱で、
その外側に四角い細い柱が立っていて、壁が付いている。
だから華奢な感じがして美しいんだそうです。
そういわれてみればそうだ。
なるほど~。
そして、最近決まったのですが、今見えている丸い柱と、
四角い柱の間に東塔用のお写経を収めさせてもらいます。
インドの日本寺と薬師寺と一巻ずつをお寺が続く限り、
ここに納めて供養させてもらいます。
おお、そうだ。
まだ(?)東塔再建用のお写経は奉納してないのだけど、
それを聞いたら書かなくちゃって気になってきたわ。
みなさんが見ているこの空間に、お写経が収められることになりました。
あー、もう完成したら、この空間を同じ目線で見ることはありません。
これまではお写経してください、御寄進してくださいって
皆様には手伝ってくださいばかりでしたが、
今回はこうしてみなさんに薬師寺東塔を見ていただけました。
そして、いつ完了するのかと聞かれて、
落慶の頃には私生きてないわっておっしゃる方がいらっしゃるのですけど。
大丈夫です!もうすぐです。
まだ言ってはいけないといわれているのですが、
なんと私の誕生日なんです。
そして、薬師寺のHPには顔写真入りで、
お坊さんの紹介ページがあります。
ということで、探していただければ、それが何日かわかりますので、
楽しみにお待ちくださいっ。
加藤さん楽しみでしょうね。
そこまで言ったら公言しているのも同然なんですけどね。
(※しかし現在そのページは諸般の事情により見られません(汗)私は見たけど)
あと、東塔の再建では薬師寺のみならず、お役所の力も借りてます。
しかしお役所ってのは、いろいろと難しくて…。
基盤をはがした後、出て来たのが1300年前の土!
創建当時からずっとここにあった1300年前の土!
それを再建工事をする際に撤去して捨てるというのです。
捨てるなんてもったいない!下さい!というと、ダメといわれる。
薬師寺の境内にずっとあったものなのに、なぜかもらい受けることができない。
ではどうするかというと捨てるという。
捨てるってどういうこと?!
じゃあ捨てるなら、薬師寺の境内に捨てて下さい!といって、
ある場所にそこへ捨てられてたのを見たが早いか拾いに行きまして(笑)
めでたく創建当時の土を入手できました。
では、この砂をどういうふうに利用しようと思ったら、
皆様に持っていただこうと思いまして、数珠の大玉の中に混ぜ込んでみました。
限定販売なのでお早めにってセールストークも好調(ははは)
ご説明頂きました加藤執事ありがとうございました。
行ってみて分ったのですが、
この心柱は2本の木を継ぎ足して、一本芯の通った心柱にしているとのこと。
薬師寺の法被着た方に教えてもらって、
ちょっと上を覗いてみたらわかりますよとのこと。
「来週先端の木を継いで心柱を伸ばします」といっていました。
おお、良い時に来たのかも?
わたしそういえば、大極殿のてっぺんも見たし、
唐招提寺の土台も、興福寺の屋根も、そして薬師寺の心柱も見た。
そうすると、1300年前の奈良もこんな風に、
あちこちで槌音が聞こえて、どんどん新しい建物が建てられていた頃が
あったのだということを実体験、追体験できたわけで。
いい時に生まれたもんだとしみじみしました。
ここの瓦の奉納は面白かった(謎)のでもう一回することに。
今回は申し込みは外のテントでしますが、
実際に瓦に書記するのは水煙や九輪が置かれているお宝保管の場所の中。
よって、それらを公開しているわけではないのだけれど、
瓦の奉納をする人はそれらを自由に見学もできました。
以前公開した時にも見たことがあるけど、九輪やら水煙やらに再会もできて、
再び瓦に署名して。
坊さんがカメラを構えて、瓦と記念撮影してる人もいました。
おお、そんなサービスも?
この瓦奉納を呼び掛けている坊さまも面白かったなあ~。
あなたが書けば即、国宝になる薬師寺東塔の瓦。
あなたの署名が必ず、絶対、国宝の一部になるんです。
すごいでしょ、これ。
他所のお寺の瓦に自分の名前を書いたら、非難ごうごうですが、
今だけ、薬師寺東塔の瓦に名前を書いていただけたら、
非常に感謝されます。うざい位に感謝します。拝みたおします。
ちょっと前までは受付していませんでした。
そしてこのあとすぐ受付終了です。
書きたいと思っても、あと100年はありません。
今書かなくていつ書くの?いまでしょ?
書いてって~そこの方、国宝となって残る自分の名前が書かれた瓦、
一枚奉納していきませんか?
ここで薬師寺に来たのも何かのご縁です。
瓦、書きましょうよ。え?書かないの?本当に書かないの?
えー、後悔しますよ。
以上のようなことを歌うように、話すように、
台本のない一人ミュージカルを延々と聞かされているうちに、
「それじゃあ一枚」といいそうになること受けあい。
あんまりおもしろすぎて、大好きな梵鐘の前で延々聞いていました。
本当はそのあと、平城遷都祭に行くつもりだったけど。
今日はまあいっかということで、ずるずると薬師寺に居続けて、
そのあとは、延長開園している奈良博へ『春日大社のすべて』を見に行きました。
一時間半くらいあればいいかと思っていたら、
最後の西新館の残り半分は駆け足になっちゃったし。
また来るか…(謎)
ということで本日は終了です。
>>>
後日。
東塔の心柱立柱式の模様を記したサイトを読ませていただいたら、
”塔の土台である基壇がもろくなっていることが解体修理で判明。
基壇は鉄骨鉄筋コンクリートの新しい土台で覆って保護し、
心柱以外の柱はその上に立てる。”
(→https://taisi123jp.exblog.jp/23536689/)
というのが図入りであって、1300年前の土が出て来た経緯が判りました。
へーそうだったんだあ。
1300年前の土。
欲しいなあ。
数珠買うか~(怪しい宗教ではありませんが)
平成30年5月4日(金・祝)
薬師寺へ行ってきました。
先日薬師寺へ行ったときに、東塔の瓦を一枚寄進したら、
このGW期間中に東塔の特別公開をしてくれるとのハガキをもらいました。
薬師寺の工事現場を見るのは実は初めてだし、行く行く!ってことで、
本来予定してなかったんですが急きょ行くことに。
行ってみて分ったことなんですが、
事前に瓦の奉納をしていた人のみの招待ではなく、
当日、薬師寺に来た人も、その場で瓦の奉納をしたら、
その場ですぐ、入れるようでした。
なーんだ(謎)
それはいいとして。
それまでは神秘のベールに包まれていた、
東塔の建築現場に入れるってんでドキドキワクワク。
受付にハガキを出して、ヘルメットをかぶって、急な坂道を登って、
自由観覧でした。
「写真は自由にとっていいですよー」
「でもSNSでネット上にアップするのはご遠慮くださいね」
っていわれちゃったので、
写真は無しです。(ま、無理ないですね)
以下、文章のみでお伝えします(て私の場合写真無しも多いから普段通りか)
私が見学ルートに上がっていったときに、
ちょうど前の組(?)の坊様による説明が終わったばっかりだったので、
しばらくはぐるぐると四方八方から塔を見て回っていました。
どうやら、私がいる場所は三階(覆屋3階)らしい。
一気に三階まで登ってきて、その後おりながら見学ということらしい。
目の前の”屋根”は二層目の裳階らしく、その上には二層目の屋根。
手を伸ばせばさわれるほどの距離にある1300年まえの木材。
これがずっとここにあったんだなあって。
なんだかまだよく実感がない。
とりあえず三階部分をぐるっと一周してみると、
周囲にある金堂や講堂、西塔などが目に入り、
地上にいる人が小さく見えます。
ここから見えている風景の建物はすべて再建された建物。
この東塔こそが、1300年ここに立ち続けたもの。
THE・薬師寺みたいなもの。
お写経勧進で薬師寺の伽藍が復興される前は、
東塔だけが遠くから見えて、「あの塔のあたりが薬師寺」って目印だったはず。
東塔、よく頑張った!
他の堂宇が失われていく中で、すくっと立ち続けた君はエライ!
いつもこういう”工事現場”に来ると思うのだけど、
完成したらここからの景色ってもう見られないのよねっていう感慨。
(今だったらドローン映像とかあるけど)
目の前にある裳階だの垂木だのって下から見上げたら、
この角度ではもう二度と見られないんだよなあって思ったら、うるうる。
奈良大学の授業で唐招提寺の”工事現場”を見に行ったことがあって。
その時の引率は水野正好先生。
「センセ―、なんで工事現場なんて見に来るんですか?
って言われたことがあってんけどな。
こんな現場ってこの先千年見られませんやろ?
完成したらずっと見られるもの見るよりも、
今しか見られないもん見た方がええでっしゃろ?」
ごもっとも。
名言でした。
納得納得。
それ以来私は”工事現場”を愛でてきました。
「センセ―、薬師寺の屋根見たで~」
と心の中でご報告。
そうこうしているうちに、何やら坊様が一人現れて、
説明をしてくださるらしい。
おお、待ってました!
ご説明は加藤執事。
「みなさんこんにちは~少しご説明をさせていただきますので、
どうぞこちらへお集まりください」
坊さんなのでマイクなしでも声は通る。
でも手にはマイク。
そして、足元にはBOSE(ぼーず)のスピーカー。
坊主の話をBOSEが伝える。
むむむ…じわじわくる…(笑)
これ、狙ってます?ほんと、狙ってます?
そんなことにウケている私は少数派。
皆さん、どんな説明が行われるかワクテカでお待ちです。
とりあえずの薬師寺の”お約束”から入る。
いわゆる「ツカミ」の部分。
「この薬師寺の東塔、何重の塔ですか?」
「さんじゅー」
「……。この塔は何重の塔ですか?」
「サンジュー」
この東塔に瓦を寄進するような人たちですから、
東塔が三重塔だというのは常識です(笑)
しかし、これが修学旅行生相手だと「五重塔!」って返事があって、
そのツッコミから話が転んで行ったりするのですが。
つまり、これは様式美としてのお約束。
「自信なさそうに言わなくていいですよ。もう一度聞きますよ?
何重の塔ですか?」
「ごじゅう…?(笑)」
ニヤリ。
この質問には五重塔と答えていただいてこそ、話が先に進みます。
でも屋根をしたから数えていくと、一つ、二つ三つ四つ、五つ…六つありますね。
でも、六重塔ではない。大きな屋根の下に小さな屋根があって、この小さい屋根を
ご存知の通り裳階といいます。
これが何故、屋根ではないかというと、
この奥に部屋がないからですね。
開口部(扉が開く部分)があるところが床がはってある場所。
薬師寺の塔はよく、美しい、凍れる音楽といわれますが、
何故薬師寺の塔は美しいと感じるのか?
わたしも薬師寺に入って、解体工事をするまで知らなかったのですが、
それを現在目の当たりにできるので見て行って下さい。
われわれの目につく外壁は柱と柱の間が白い壁になっていて、
外側の壁には四角い柱が使われています。
しかし、実際に塔を支えているのはその内側の丸い柱。
丸裸になっていてわかったことは、
重さを支えているのが奥(内側)の丸い柱で、
その外側に四角い細い柱が立っていて、壁が付いている。
だから華奢な感じがして美しいんだそうです。
そういわれてみればそうだ。
なるほど~。
そして、最近決まったのですが、今見えている丸い柱と、
四角い柱の間に東塔用のお写経を収めさせてもらいます。
インドの日本寺と薬師寺と一巻ずつをお寺が続く限り、
ここに納めて供養させてもらいます。
おお、そうだ。
まだ(?)東塔再建用のお写経は奉納してないのだけど、
それを聞いたら書かなくちゃって気になってきたわ。
みなさんが見ているこの空間に、お写経が収められることになりました。
あー、もう完成したら、この空間を同じ目線で見ることはありません。
これまではお写経してください、御寄進してくださいって
皆様には手伝ってくださいばかりでしたが、
今回はこうしてみなさんに薬師寺東塔を見ていただけました。
そして、いつ完了するのかと聞かれて、
落慶の頃には私生きてないわっておっしゃる方がいらっしゃるのですけど。
大丈夫です!もうすぐです。
まだ言ってはいけないといわれているのですが、
なんと私の誕生日なんです。
そして、薬師寺のHPには顔写真入りで、
お坊さんの紹介ページがあります。
ということで、探していただければ、それが何日かわかりますので、
楽しみにお待ちくださいっ。
加藤さん楽しみでしょうね。
そこまで言ったら公言しているのも同然なんですけどね。
(※しかし現在そのページは諸般の事情により見られません(汗)私は見たけど)
あと、東塔の再建では薬師寺のみならず、お役所の力も借りてます。
しかしお役所ってのは、いろいろと難しくて…。
基盤をはがした後、出て来たのが1300年前の土!
創建当時からずっとここにあった1300年前の土!
それを再建工事をする際に撤去して捨てるというのです。
捨てるなんてもったいない!下さい!というと、ダメといわれる。
薬師寺の境内にずっとあったものなのに、なぜかもらい受けることができない。
ではどうするかというと捨てるという。
捨てるってどういうこと?!
じゃあ捨てるなら、薬師寺の境内に捨てて下さい!といって、
ある場所にそこへ捨てられてたのを見たが早いか拾いに行きまして(笑)
めでたく創建当時の土を入手できました。
では、この砂をどういうふうに利用しようと思ったら、
皆様に持っていただこうと思いまして、数珠の大玉の中に混ぜ込んでみました。
限定販売なのでお早めにってセールストークも好調(ははは)
ご説明頂きました加藤執事ありがとうございました。
行ってみて分ったのですが、
この心柱は2本の木を継ぎ足して、一本芯の通った心柱にしているとのこと。
薬師寺の法被着た方に教えてもらって、
ちょっと上を覗いてみたらわかりますよとのこと。
「来週先端の木を継いで心柱を伸ばします」といっていました。
おお、良い時に来たのかも?
わたしそういえば、大極殿のてっぺんも見たし、
唐招提寺の土台も、興福寺の屋根も、そして薬師寺の心柱も見た。
そうすると、1300年前の奈良もこんな風に、
あちこちで槌音が聞こえて、どんどん新しい建物が建てられていた頃が
あったのだということを実体験、追体験できたわけで。
いい時に生まれたもんだとしみじみしました。
ここの瓦の奉納は面白かった(謎)のでもう一回することに。
今回は申し込みは外のテントでしますが、
実際に瓦に書記するのは水煙や九輪が置かれているお宝保管の場所の中。
よって、それらを公開しているわけではないのだけれど、
瓦の奉納をする人はそれらを自由に見学もできました。
以前公開した時にも見たことがあるけど、九輪やら水煙やらに再会もできて、
再び瓦に署名して。
坊さんがカメラを構えて、瓦と記念撮影してる人もいました。
おお、そんなサービスも?
この瓦奉納を呼び掛けている坊さまも面白かったなあ~。
あなたが書けば即、国宝になる薬師寺東塔の瓦。
あなたの署名が必ず、絶対、国宝の一部になるんです。
すごいでしょ、これ。
他所のお寺の瓦に自分の名前を書いたら、非難ごうごうですが、
今だけ、薬師寺東塔の瓦に名前を書いていただけたら、
非常に感謝されます。うざい位に感謝します。拝みたおします。
ちょっと前までは受付していませんでした。
そしてこのあとすぐ受付終了です。
書きたいと思っても、あと100年はありません。
今書かなくていつ書くの?いまでしょ?
書いてって~そこの方、国宝となって残る自分の名前が書かれた瓦、
一枚奉納していきませんか?
ここで薬師寺に来たのも何かのご縁です。
瓦、書きましょうよ。え?書かないの?本当に書かないの?
えー、後悔しますよ。
以上のようなことを歌うように、話すように、
台本のない一人ミュージカルを延々と聞かされているうちに、
「それじゃあ一枚」といいそうになること受けあい。
あんまりおもしろすぎて、大好きな梵鐘の前で延々聞いていました。
本当はそのあと、平城遷都祭に行くつもりだったけど。
今日はまあいっかということで、ずるずると薬師寺に居続けて、
そのあとは、延長開園している奈良博へ『春日大社のすべて』を見に行きました。
一時間半くらいあればいいかと思っていたら、
最後の西新館の残り半分は駆け足になっちゃったし。
また来るか…(謎)
ということで本日は終了です。
>>>
後日。
東塔の心柱立柱式の模様を記したサイトを読ませていただいたら、
”塔の土台である基壇がもろくなっていることが解体修理で判明。
基壇は鉄骨鉄筋コンクリートの新しい土台で覆って保護し、
心柱以外の柱はその上に立てる。”
(→https://taisi123jp.exblog.jp/23536689/)
というのが図入りであって、1300年前の土が出て来た経緯が判りました。
へーそうだったんだあ。
1300年前の土。
欲しいなあ。
数珠買うか~(怪しい宗教ではありませんが)