幼児教育学科2年生の「英語コミュニケーションⅡ」では、英語圏の子ども文化もできるだけ紹介するようにしています。
先日、英語の絵本を紹介した際に、Curious Georgeの絵本も紹介しました。
やさしい英語で書かれているので、英語教材としても適切です。
また、ご存知の方も多いと思いますが、NHKのEテレでも『おさるのジョージ』が放送されていますので、多くの子どもたちもジョージのことを知っています。
また、日本語でも多くの翻訳が出ています。
うちの息子も、小さい頃からこの『おさるのジョージ』が大好きで、毎週欠かさず見ていました(今でも、時々見ています)。
これは、とてもいい英語の教材になりそうだと、僕はひそかに教材化を目指しています。
英語圏(アメリカ)の都会と田舎の子どもを取り巻く文化環境が豊富に描かれ、なかなか面白い教材になりそうなのです。
ということで、『おさるのジョージ』を紹介しましたので、映画『おさるのジョージ』(2006)を授業でも見せました。
テレビでは、おさるのジョージは黄色い帽子のおじさんと親子のように一緒に暮らしていますが、この映画では、その黄色い帽子のおじさんがどのようにしてジョージと出会い、どのようにお互いを好きになり、どのように一緒に住むようになったかが描かれます。
僕は男性(で父親)なので、女性の母性本能というものについては、直接的にはわかりませんが、この映画は、そしておさるのジョージという存在は、父性本能(という言葉はあまり使われませんが)をくすぐるものといえると思います。
男児の父親である僕は、自分の息子がこのおさるのジョージが好きだということもあるかもしれませんが、この映画を見ると必ず自分の息子のことを思いながら見ています。
まず、帽子でいないいないばあをして一緒に遊ぶことにより二人(一人と一匹)の距離は縮み、その後から、何が何でも一緒に遊んでもらいたい、一緒にいてもらいたい気持ちになる。
最初は、それを楽しんでいた黄色い帽子のおじさんも、あまりにもしつこいジョージが少々面倒に思ってくる、でもいなければいないで、やっぱりとても寂しい気持ちになり、何としても取り戻そうとする。
風船でニューヨークの空を飛び、風船が割れてジョージが落ちそうになるのを黄色い帽子のおじさんが必死に救うシーン、これは、父親と息子の心が通じ合ったようなシーンで、思わず涙が出そうなシーンです。
母親というのは、子どもが自分のお腹の中にいて、自分で子どもを出産します。
しかし、父親というものは自分の体の変化がなく父親になるので、いつどのように父性というものが育っていくのかなかなか実感できにくいものです。
子どもとの出会いも、何の縁かお前と出会ってしまったなあ、だから仲よく生きていこうぜのような感じを持つこともあります。
人間同士の自分と息子との関係を、人間とサルの関係に例えるのは変なのですが、この黄色い帽子のおじさんとジョージも何の縁か出会ってしまい、お互いになくてはならない存在になり、一緒に生きていくのです。
生物種が違う親子関係という意味では、宮西達也の『おまえうまそうだな』などとも比較できるかもしれません。
また、父性本能をくすぐられる作品としては、映画『ファインディング・ニモ』(Finding Nemo, 2003)
とも比べられるかもしれません。
また、この『おさるのジョージ』の映画は、ニューヨークを舞台としているので、ニューヨークのことを知っているとさらに楽しみが増す映画です。
文部科学省選定作品でもありますが、僕からもお奨めの作品です。
先日、英語の絵本を紹介した際に、Curious Georgeの絵本も紹介しました。
やさしい英語で書かれているので、英語教材としても適切です。
また、ご存知の方も多いと思いますが、NHKのEテレでも『おさるのジョージ』が放送されていますので、多くの子どもたちもジョージのことを知っています。
また、日本語でも多くの翻訳が出ています。
うちの息子も、小さい頃からこの『おさるのジョージ』が大好きで、毎週欠かさず見ていました(今でも、時々見ています)。
これは、とてもいい英語の教材になりそうだと、僕はひそかに教材化を目指しています。
英語圏(アメリカ)の都会と田舎の子どもを取り巻く文化環境が豊富に描かれ、なかなか面白い教材になりそうなのです。
ということで、『おさるのジョージ』を紹介しましたので、映画『おさるのジョージ』(2006)を授業でも見せました。
テレビでは、おさるのジョージは黄色い帽子のおじさんと親子のように一緒に暮らしていますが、この映画では、その黄色い帽子のおじさんがどのようにしてジョージと出会い、どのようにお互いを好きになり、どのように一緒に住むようになったかが描かれます。
僕は男性(で父親)なので、女性の母性本能というものについては、直接的にはわかりませんが、この映画は、そしておさるのジョージという存在は、父性本能(という言葉はあまり使われませんが)をくすぐるものといえると思います。
男児の父親である僕は、自分の息子がこのおさるのジョージが好きだということもあるかもしれませんが、この映画を見ると必ず自分の息子のことを思いながら見ています。
まず、帽子でいないいないばあをして一緒に遊ぶことにより二人(一人と一匹)の距離は縮み、その後から、何が何でも一緒に遊んでもらいたい、一緒にいてもらいたい気持ちになる。
最初は、それを楽しんでいた黄色い帽子のおじさんも、あまりにもしつこいジョージが少々面倒に思ってくる、でもいなければいないで、やっぱりとても寂しい気持ちになり、何としても取り戻そうとする。
風船でニューヨークの空を飛び、風船が割れてジョージが落ちそうになるのを黄色い帽子のおじさんが必死に救うシーン、これは、父親と息子の心が通じ合ったようなシーンで、思わず涙が出そうなシーンです。
母親というのは、子どもが自分のお腹の中にいて、自分で子どもを出産します。
しかし、父親というものは自分の体の変化がなく父親になるので、いつどのように父性というものが育っていくのかなかなか実感できにくいものです。
子どもとの出会いも、何の縁かお前と出会ってしまったなあ、だから仲よく生きていこうぜのような感じを持つこともあります。
人間同士の自分と息子との関係を、人間とサルの関係に例えるのは変なのですが、この黄色い帽子のおじさんとジョージも何の縁か出会ってしまい、お互いになくてはならない存在になり、一緒に生きていくのです。
生物種が違う親子関係という意味では、宮西達也の『おまえうまそうだな』などとも比較できるかもしれません。
また、父性本能をくすぐられる作品としては、映画『ファインディング・ニモ』(Finding Nemo, 2003)
とも比べられるかもしれません。
また、この『おさるのジョージ』の映画は、ニューヨークを舞台としているので、ニューヨークのことを知っているとさらに楽しみが増す映画です。
文部科学省選定作品でもありますが、僕からもお奨めの作品です。