5月17日から5月20日の『爛々と燃ゆる』の公演のパンフレットに次のような文章を掲載していただきました。
ジョン・スタインベックの『爛々と燃ゆる』について
日本ジョン・スタインベック協会理事 山内 圭(新見公立大学教授)
まずは、記念すべき板橋演劇研究会第1回公演『爛々と燃ゆる』の上演、誠におめでとうございます。今回、プロデューサーを務め「フレンド・エド」役を演じている塚原英志さん、そして全体のサポートを務められている為国孝和さんと私との出逢いは、2008年11 月のLinkProjectによるジョン・スタインベック原作『二十日鼠と人間』の上演時にさかのぼります。私は、この舞台に大きな感銘を受け、演出を担当された為国さんと、難しい「レニー」役を演じられた塚原さんとともに2010年の日本ジョン・スタインベック学会において「スタインベックと『二十日鼠と人間』と演劇と」というタイトルでシンポジウムを行いました。
そして、そのシンポジウムが、今回のスタインベック作への再チャレンジにつながりました。
『爛々と燃ゆる』の公演実施は2010年の秋頃決まったと聞いております。その後、着々と準備が進められ、オーディションも行われ、稽古開始が2月26日だったと聞きます。その日は奇しくもスタインベックの110回目の誕生日2月27日の前日で、出演者とスタッフで「Happy Birthday John Steinbeck」の文字が入ったケーキを食べたそうです(塚原英志さんのブログ
ガリバーがゆく 俳優、塚原英志のブログ 2012年2月参照)。
4月15日には、稽古の見学に行かせてもらいました。短時間ですが勉強会のようなものも行いました。私は、その時、作品の中に入り込み、真剣に役を演じることによって原作を解釈している役者の皆さんの真摯な姿を目にしました。主に机の上で原作を読むことにより解釈している私たち研究者とは全く違う角度からの作品解釈法を学びました。
今回の公演の原作『爛々と燃ゆる』(Burning Bright)は、アメリカのノーベル賞作家ジョン・スタインベック(John Steinbeck)によって1950年に出版された、彼自身「劇小説」(play-novelette)と呼ぶ形式で書かれた作品です。
ここで、作者ジョン・スタインベックについて少し触れてみたいと思います。スタインベックの誕生日については先程少し触れましたが、彼は1902年2月27日、カリフォルニア州サリーナスに生まれました。彼の生家は、現在「スタインベックハウス」として保存されサリーナスの町の有名スポットの一つになっています。
またサリーナスにはナショナル・スタンベック・センターと呼ばれるスタインベックの博物館があり、毎年スタインベック・フェスティバルが開催されています。
スタインベックの代表作としては先ほど挙げた『二十日鼠と人間』(Of Mice and Men)の他に、『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath)、『エデンの東』(East of Eden)、『赤い小馬』(The Red Pony)などがあります。これらはいずれも映画化され、かなりのヒット作品にもなっています。そしてそれぞれ何度も舞台化されています。
このように、作品が映画化や舞台化されても成功をおさめているスタインベックの作品の中でも、しばしば「失敗作」と評されるのが、この『爛々と燃ゆる』なのです。これは、彼が「劇小説」と名付けた形式で書いた3作目の作品でした。1作目は『二十日鼠と人間』、2作目は『月は沈みぬ』で、どちらも成功を収めました。スタインベックは、第3作目の『爛々と燃ゆる』も自信をもって世に送り出したのですが、ニューヨークのブロードウェイでの公演はたった13回で打ち切られました。多くの批評家からも酷評を受けました。スタインベックは、1962年に出版した『チャーリーとの旅』で、自分の演劇での経験を「完全な失敗です」と(おそらく半分は謙遜も込めて)語っているのです。
「劇小説」とは、スタインベックによると、劇の脚本と小説の中間的なもので、その中からセリフを取り出せばそのまま演劇の脚本になるという形式です。演劇の脚本を実際に読む人はあまり多くはないけれども、この劇小説だったら一般読者にも読みやすいし、役者が演じる場合にも場面がよくわかるので便利であるとスタインベックは考えました。
しかし、私が今回、貴重な稽古見学という機会をいただいて認識したことは、演劇というものは、原作者の意向通りに作られるものではないということです。即興劇でない限りは、もちろん、まず原作ありきですが、舞台というものは、原作者の意向に、舞台監督や演出家などのスタッフの意向が加えられ、そして役を演じる役者たちによって目に見える形として表現されるのです。さらに舞台装置や小道具、役者の衣装や音響効果なども加わり、舞台で演じられたときの観客の反応も交じり合って、一つの作品ができあがるのです。これだけの要素が加わって一つの演劇作品ができあがるということは、裏を返せば原作の出来不出来は、確かに本源的に重要なものではあるかもしれませんが、原作の不出来がそれほど致命的なものではなく、原作の不出来を、いわゆる演出や演技でカバーすることはいくらでも可能であろうということです。今回の、スタッフとキャストの爛々と燃ゆる眼を見たら、このスタインベックの「失敗作」がきっと成功作になって仕上げられるという確かな予感を私は感じています。
本作品のタイトル『爛々と燃ゆる』についても少し解説しておきたいと思います。これは、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイク(William Blake)の有名な詩の一節“Tiger! Tiger! Burning Bright”からとったものです。トラの筋肉隆々のたくましさを歌ったこの詩において「爛々と燃ゆる」ように光っているものはその眼です。スタインベックという作家は登場人物(や動物)の眼の描写を重要視しています。舞台では演じている役者たちの眼にも注目してご覧いただければと思います。
作者スタインベックが、この「劇小説」という形式を使った意図のひとつに、一般読者にも劇作品を読んでもらいたいというものがありました。この演劇をご覧になって興味を持たれた皆様には、是非、原作を翻訳ででも読んでみることをお薦めします。現在、最も入手しやすい本作品の翻訳は大阪教育図書から出版されている『スタインベック全集』第8巻に収められています。この全20巻からなる『スタインベック全集』は、私も所属している日本ジョン・スタインベックのプロジェクトとして刊行されたものです。現在、日本ジョン・スタインベック協会では、スタインベックに関心のある入会希望者を募集しております。申し込み・お問い合わせなどは下記までお願いいたします。
日本ジョン・スタインベック協会事務局
大東文化大学経済学部社会経済学科 中垣恒太郎研究室
〒175-8571東京都板橋区高島平1-9-1
電話042-691-6964
email: ここでは省略
本公演がきっかけで、多くの方々がスタインベックの素晴らしい世界に触れることは、スタインベックを愛好する私どもにとっても大きな喜びです。今年、生誕110周年となる天国のジョン・スタインベックさんもきっと喜んでいてくれるものと信じて、この文章を終えたいと思います。
山内 圭(やまうち きよし)プロフィール
1965年静岡県生まれ
横浜国立大学大学院修了
横浜国立大学、東海大学、国士舘大学、麻布大学、駒沢女子短期大学、岡山理科大学等で教鞭を取り、現在、新見公立大学教授
日本ジョン・スタインベック協会理事(学会誌
Steinbeck Studies編集長)
スタインベック原作の演劇『怒りの葡萄』『エデンの東』『二十日鼠と人間』の劇評執筆