朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

30年。

2025年01月17日 10時58分26秒 | 社会
阪神淡路大震災から30年。

私は当時北摂の実家に住んでいたのだが、
最初の「ドーン」と突き上げる揺れで目を覚まし、
「何!」と叫んだ覚えがある。
その後ゆっさゆっさと本棚が揺れているのを
「倒れてくるかな、倒れても当たらないかな」と眺めていた。

家の被害は、姿見が倒れて何かに当たって割れただけで、
大したことはなかった。
電車が止まっていたので早々に大学に行くのは諦めて、
自転車で行ける母校(高校)を覗きに行っていたが、
そちらは校舎が一部ひび割れたりしていた。

ボランティアに行く同級生もいたが、
私が行ったのは仮設住宅に落語の慰問で行ったくらいで、
それも10月か11月だったと思う。

プライバシーのない避難所。仮設住宅。
当時から「震災死」は問題になっていたし、
その劣悪な環境が一切変わっていないのは非難されていた。

しかるに今も。能登はどうなっている?
災害関連死とは何か?基本的な理解と対策を通じて家族の命を守る - 空飛ぶ捜索医療団_ARROWS_

「公助」が弱いから、それを「共助」「自助」に回している。

ボランティアを称揚するのは良いが、まず、金を出せ。
国民の最低限の生存を守れずして国防だ何だと、
順序が違うのでは?
予算の向け先が違うのでは?
利権にならないものは後回しなのか?

30年経っても、同じ疑問を持たねばならないのは、情けない話。
コメント
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