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オモイオモワレ。~「おもうとうごく」の落語会~

2013年06月18日 22時31分32秒 | 落語・講談・お笑い


日曜は奈良町のカフェ「カナカナ」へ。
テーマを設けて、それに合わせたネタが掛けられる落語会で、
5年で8回目くらいになる様子。


「鬼の面」(佐ん吉):△

師匠吉朝との稽古や、
大師匠米朝の家で内弟子修業をしていた頃の話から、
「昔も住み込みで働いていた」というところからネタへ。

まあ、丁寧に喋ってはいるが、
なかなか難しいネタではある。
最初の「面」という言葉が少し聞き取りづらかった。
ここが聞き取れないと、何が何だか分からなくなる。

面を買って帰って旦那の悪戯。
この旦那がイマイチ。
「遊び」は出ているのだが、ベースの旦那の落ち着いた様子が弱い。
この落ち着いたベースがないと、その後の「遊び」も引き立たないし、
後で行方不明になっている子を探す際の慌てぶりも目立たない。
後者については、慌てている様子が弱かったように思う。
朝まで帰ってこない、心配、死んでいるのでは、といった焦りが出ていなかった。

鬼の面に変わったところで「うざ」と言うのは特にウケず。
別に既存の「しょうもない悪戯ね」といった台詞で充分でしょう。

池田に向けて山道を行く。
刻限が釈然としない。
先に「1晩かかる」と地で言ってしまっている以上、
子守の仕事を終えてから出たのでは、
池田近郊の山に着いた頃には「夜中」というより「明け方」になっているのは?
と感じてしまった。

「鬼の面」を顔に添えて火を起こす、と言ってウケが来たのは宜しくない。
「鬼の面」に意図性はなく、ここは単に偶々なのであり、
「煙をよけるために」という意図を聞かせておく必要があるのだと思う。

父親と母親の会話は、位置関係が少し分かりづらくハマっていなかった。
父親が娘が「すぐに帰る」と言っているのを受けて
「早く帰らせなければならないが、それでももう少し一緒にいたい」あたりの
間の付け方や台詞回しはよくウケていた。

その後は、旦那の焦りはイマイチ出ていなかったが、まあまあ。
サゲは父親に言わせていたように思うが、
旦那が言う方が全体的には調和するように思う。
あと、直前の「この面では、いろんなことがあったんやな」に
けっこう思いが籠る(これは雀三郎でも)のだが、
別にそこまで気持ちを籠めず、さらっと言えば良いのでは、と思う。

先日の「蛇含草」と云い、どうも以前に比べて佐ん吉の高座に満足できていないなあ。
もしかすると色々と直そう、
一度壊して作り直そうとしている過渡期なのかも知れない。
それはそれで楽しみ、ではある。


「崇徳院」(南天):○-

「異性と会うハードルが下がっている」といった話からネタへ。

全体に台詞が口に付いていないところ、トチる場面が散見されたが、
特に熊さんがそれを蹴散らしていく勢いもあり、良かった。

親旦那と熊さんの会話はまあまあ。
心配している様子などがよく出ている。

その後熊さんと若旦那の会話は少し加薬が入っていたり、
「色々なものがとうさんに見える」話から
「目を瞑って熊さんに迫る」といった作りは
(うぶな若旦那としてどうか、は兎も角)面白かった。

探しに出る場面、一度帰宅しておかみさんにさらに行かされる場面は普通。
戻ってきて親旦那との会話は、
親旦那が待ちかねており、
もう相手が見つかっていると思い込んでいる様子が自然に作られていた。
「下手人として訴え出る」はなく、これはこれで良いと思う。

2日探して帰ってきて、
おかみさんが熊さんをねぎらう台詞が少し長く、情が濃過ぎる印象。
その後のおかみさんが熊さんを罵る際への転換、という側面はあるが、
転換を効かせる元にするとしても、やや濃過ぎるのでは、と感じた。

探し回る場面、裏道で練習するところや
その後の子ども連中に追いかけられる場面も活き活きとして良い。

何軒も回っての最後の散髪屋。
お嬢さんの側の出入りの職人が「そちらのお坊さん」と
全て剃られている熊五郎に呼びかけるのは面白かった。
ただそれならば、後で飛び掛ってきた熊さんに対しても
「お坊さん」といった台詞が出る方が自然だしウケにつながるような気がする。
このあたりで散髪屋に歌を紹介するのに
「割れても末に買わんとぞ思う」と口走ってしまっていたのは、
ちと勿体ないな。気にしなくても良いレベルではあるのだけど。


「うつつの人」(九雀):△+

亡くなった先輩などの話、ということで
吉朝や喜丸、歌之助のエピソード。
師匠枝雀の話をしないのは、一つの見識というか、
九雀の一つの思いなのかも知れない。

ネタは初めて聞いた。
元々くまざわあかねが歌之助に書いたネタらしい。
上勉の「名付け親」なのかなあ。
「ごかいらく落語会」初演らしい。

「大阪のおばちゃん」が事故で亡くなり、
成仏するまで天上で「大天使ミカエル」と下界の様子を見ている。
お通夜やその後の残された夫と娘の会話を聞き、
そこにツッコミを入れつつ、
最後は思い残したこと、言い残したことを言って成仏する、という設定の話。

テキストとしては、まあ、ありがちではあるが
落語的なネタかも知れない。
「大阪のおばちゃん」が出てきて、
その生態がウケるポイントの一つになる、というあたりは、
米朝系統よりも三枝系統が粗製濫造する新作のようで、あまり好みではない。
また、九雀の演技が分かりづらく、
最初「おばさん」と気付くまで少し時間がかかった。

「卵」に拘るのは、まあ、自然。
大天使の「猫を心配するとは偉い」に対して
「卵が割れていないか」で返すのは読めていたところ。
ここは客として「猫を心配する訳がない」という先入観があるから、
あまり大きな落差につながらなかった。
もう少し「猫を心配するかも知れない」と思わせるような設定・台詞廻しが
必要では、と思う。

その後お通夜の席を上から覗く。
ここは人物分けが分かりづらかった。
「変わってやりたい」と嘆くばあさんと、保険の勧誘をしまくるおばさんは、
「お通夜の場という本来緊張しているべき場」の空気を吸いながらも
もっと激しく、人物の存在感を出していって欲しい。

父娘が帰宅して、味噌汁を巡る会話。
結局母親の「最後のお願い」が何だったのか、は何となく想像できるが、
もっと露骨に描写してしまっても良いのでは、と思った。
あと、どうせならば最後も「卵」に引っ掛けたサゲにできないか、と感じた。
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