昨日は動楽亭昼席へ。
恐らく半年ぶり。
目当ては「意外に悪くない」と(ある種)評判の正蔵なるもの。
東京に住んでいた頃も見ていなかったので楽しみ。
13時過ぎに着いたら既に先客がおり、
開場時刻の13時半には15人くらい並んでいた。
天気の悪かったせいもあり、結局30人程度の入り。
「阿弥陀池」(二乗):△
悪戯を仕掛けて失敗した、というマクラ。
演り慣れているのだろうと思うのだが、持っていき方が雑であまり面白くない。
ネタはまあ普通。
丁寧にやってはいる。
隠居さんが「阿弥陀が行けと言いました」や「糠に首」といったサゲを言う際に
笑って見せていた。
悪くないと思っていたのだが、
ウケが分散する感じであまり良くないのかも知れない。
「手が利いて腕ボロボロ」を「手が辛い」と言ったり、
「心インド象」と言ったり、少し手を入れていたが、
あまり良い方向とは思えないなあ。
頭でギャグを作って、実際に高座で試していた段階なのかも知れないが。
「おやっさんは中風で寝たきり、子どもは5つで誰が米運ぶんや」から
「よっしゃんという若い衆がいる」と引っ張り出すのは悪くないが、
「手頃な若い衆」の適当感も捨て難い。
「裏の米政に盗人が入った」と言われた時の男の反応に、
「自分の義弟が勤めている、大丈夫か」という気持ちが籠っていて良かった。
その感情が続かなかったのは少し勿体ない。
「上燗屋」(ひろば):△
酔っ払いのマクラ。
「日か月か」でそこそこウケたのに、
その後で「上燗屋」の川柳を入れ、上燗屋の説明を済ませて
わざわざ流れを切ってからネタに入るのは勿体ない。
ウケたんだったら、上燗屋の説明を入れない方が良いのでは?
何となく「飲み屋」と分かれば充分だろうし。
ネタは普通。
酔っ払いは喋り方がイマイチ。
最初に強めに酔っ払いを見せておけば良い、という作り方なのかも知れない。
個人的には、もう少し途中でも酔っている状態を見せた方が、
グズグズに酔っている感じを出すためにも、
この酔っ払いの人の良さのようなものを出すためにも良いと思う。
「猫」(米紫):△-
見たくない人で、実際に長い間見ていなかったのだが、
久し振り(15年ぶりくらいか)に見たらやっぱり嫌だった。
マクラでの語尾を強める言い方は、以前にはなかったのだが、
まずこれが不自然で不愉快。
押し付けがましさと妙な作り笑顔・作り愛嬌がしんどい。
客が笑わないのは「分かっていないから」ではなく、
「分かっているけど面白くないから」であり、
そんなことは百も承知で笑わせるために言っているのだろうが、
このような弄り方は好みではない。
枝雀のSR(先日師匠の塩鯛も演っていたなあ…)から「定期券」をやって見せる。
最初に書かれていないのは「名前」ではないのかなあ。
いきなり「区間」だと、サゲでの転換が利かなくなるし、
「名前」「有効期間」「区間」と徐々に定期券のイデア的なものが
分からないことが分かっていく、という不気味さが必要だと思うんだけど。
ネタは、まあ、こんなものかな。
元々アイデアだけのようなネタだし。
猫は「壁を引っ掻く」といった猫らしい反応でなく、
ロジカルに詰めていく方が不気味だし、
サゲでの「人か猫か」転換させる部分が利いてくるのでは、と思う。
以前見た時に気になった不自然な上下の振り、間などは見られず、
それは悪くなかったけど。
サゲの言い方に若干、「不気味な話でしょ?」という
演者の気持ちが入っているように感じたが、
ここはさらっと登場人物の気持ちのまま言った方が
却って不気味で良いと思う。
もっと客に投げれば良いのに、全体に押し付けがましいなあ。
「松山鏡」(正蔵):○-
初めて見た。
出から愛嬌がある。このあたりは良い。
マクラは別に大したことを言う訳でもなく、
楽屋のざこばを引っ張り出したかったのだろう。
中国の笑い話の紹介、
「ことしゃみせん」の小咄。
このあたりは文楽と同じ作り方か。
隣の人間にも大声を張る、という田舎者の作り方が分かりやすい。
ニンの良さは出ている。
「ことしゃみせん」は「しなんじょ」と二段オチになっているが、
「ことしゃみせん」で大きなウケが来てしまった。
ここで切っても良い小咄かも知れない。
ネタはやはり、「思っていたより良かった」。
何と言っても田舎者の朴訥とした雰囲気、
男がお奉行さんに対して顔を上げられない様子、
「叶えられそうにない望み」と分かっている前提で「父親に会いたい」というところ、
親孝行で純朴な田舎者の気持ちがよく出ていた。
ただ全体に、作り方がクサい。
「田地田畑」や「お金」を断るところ、
「父親に会いたい」と言う前に「母親は夢に出てきてくれるが」というところ、
個人的にはそこまで押さずに、さらっと進めれば良いのに、と思う。
このあたりはあまり好みではないなあ。
地方用の作り方だったのかも知れないが。
「ちりとてちん」(春雨):△
この人も久し振りに見た。
ざこばも正蔵もいない、ということで気楽に、と言って
花粉症対策のグッズを袂から取り出していろいろ喋ったりしている。
このあたりの「好き勝手」は悪くない。
ネタは華のない人が丁寧に演ろうとしている、という印象。
喜ぃさんから隠居に振るときに微妙に間が空くところが散見された。
「初物」の繰り返しはごく普通。
「ちりとてちん」の臭気はもっと強調しても良いと思う。
「赤」「緑」「黒」と色が混ざっていく経過は悪くないが、
淡々と進んでしまう印象。
竹さんの「きぃーん」と鼻を鳴らすのは可笑しい。
ここでも、竹さんが手に乗せてちりとてちんを食べるところ、
あまり臭気を感じさせなかった。
全体に華がないなあ。
「幾世餅」(文太):○
指に色気がある、という話からネタへ。
いつも通り、リズム良く進んでいく。
それがよくハマっていた。
若干、田舎者っぽい作り方が「松山鏡」と被らないでもないが。
何と言っても清蔵の熱に浮かされた真面目さと、
それを見守るおかみさんや旦那、医師といった周囲の人間の温かさが良い。
「米搗き屋の若い衆ではなく、京の若旦那」と偽る、という話を
ハメの入っている道中にするのは悪くない。
流れを損ねず上手く入れていた。
「幾世餅」と「くるよ餅」もいつも通り。
これもハマっていた。
サゲは「焼き餅はおまへん」。
恐らく半年ぶり。
目当ては「意外に悪くない」と(ある種)評判の正蔵なるもの。
東京に住んでいた頃も見ていなかったので楽しみ。
13時過ぎに着いたら既に先客がおり、
開場時刻の13時半には15人くらい並んでいた。
天気の悪かったせいもあり、結局30人程度の入り。
「阿弥陀池」(二乗):△
悪戯を仕掛けて失敗した、というマクラ。
演り慣れているのだろうと思うのだが、持っていき方が雑であまり面白くない。
ネタはまあ普通。
丁寧にやってはいる。
隠居さんが「阿弥陀が行けと言いました」や「糠に首」といったサゲを言う際に
笑って見せていた。
悪くないと思っていたのだが、
ウケが分散する感じであまり良くないのかも知れない。
「手が利いて腕ボロボロ」を「手が辛い」と言ったり、
「心インド象」と言ったり、少し手を入れていたが、
あまり良い方向とは思えないなあ。
頭でギャグを作って、実際に高座で試していた段階なのかも知れないが。
「おやっさんは中風で寝たきり、子どもは5つで誰が米運ぶんや」から
「よっしゃんという若い衆がいる」と引っ張り出すのは悪くないが、
「手頃な若い衆」の適当感も捨て難い。
「裏の米政に盗人が入った」と言われた時の男の反応に、
「自分の義弟が勤めている、大丈夫か」という気持ちが籠っていて良かった。
その感情が続かなかったのは少し勿体ない。
「上燗屋」(ひろば):△
酔っ払いのマクラ。
「日か月か」でそこそこウケたのに、
その後で「上燗屋」の川柳を入れ、上燗屋の説明を済ませて
わざわざ流れを切ってからネタに入るのは勿体ない。
ウケたんだったら、上燗屋の説明を入れない方が良いのでは?
何となく「飲み屋」と分かれば充分だろうし。
ネタは普通。
酔っ払いは喋り方がイマイチ。
最初に強めに酔っ払いを見せておけば良い、という作り方なのかも知れない。
個人的には、もう少し途中でも酔っている状態を見せた方が、
グズグズに酔っている感じを出すためにも、
この酔っ払いの人の良さのようなものを出すためにも良いと思う。
「猫」(米紫):△-
見たくない人で、実際に長い間見ていなかったのだが、
久し振り(15年ぶりくらいか)に見たらやっぱり嫌だった。
マクラでの語尾を強める言い方は、以前にはなかったのだが、
まずこれが不自然で不愉快。
押し付けがましさと妙な作り笑顔・作り愛嬌がしんどい。
客が笑わないのは「分かっていないから」ではなく、
「分かっているけど面白くないから」であり、
そんなことは百も承知で笑わせるために言っているのだろうが、
このような弄り方は好みではない。
枝雀のSR(先日師匠の塩鯛も演っていたなあ…)から「定期券」をやって見せる。
最初に書かれていないのは「名前」ではないのかなあ。
いきなり「区間」だと、サゲでの転換が利かなくなるし、
「名前」「有効期間」「区間」と徐々に定期券のイデア的なものが
分からないことが分かっていく、という不気味さが必要だと思うんだけど。
ネタは、まあ、こんなものかな。
元々アイデアだけのようなネタだし。
猫は「壁を引っ掻く」といった猫らしい反応でなく、
ロジカルに詰めていく方が不気味だし、
サゲでの「人か猫か」転換させる部分が利いてくるのでは、と思う。
以前見た時に気になった不自然な上下の振り、間などは見られず、
それは悪くなかったけど。
サゲの言い方に若干、「不気味な話でしょ?」という
演者の気持ちが入っているように感じたが、
ここはさらっと登場人物の気持ちのまま言った方が
却って不気味で良いと思う。
もっと客に投げれば良いのに、全体に押し付けがましいなあ。
「松山鏡」(正蔵):○-
初めて見た。
出から愛嬌がある。このあたりは良い。
マクラは別に大したことを言う訳でもなく、
楽屋のざこばを引っ張り出したかったのだろう。
中国の笑い話の紹介、
「ことしゃみせん」の小咄。
このあたりは文楽と同じ作り方か。
隣の人間にも大声を張る、という田舎者の作り方が分かりやすい。
ニンの良さは出ている。
「ことしゃみせん」は「しなんじょ」と二段オチになっているが、
「ことしゃみせん」で大きなウケが来てしまった。
ここで切っても良い小咄かも知れない。
ネタはやはり、「思っていたより良かった」。
何と言っても田舎者の朴訥とした雰囲気、
男がお奉行さんに対して顔を上げられない様子、
「叶えられそうにない望み」と分かっている前提で「父親に会いたい」というところ、
親孝行で純朴な田舎者の気持ちがよく出ていた。
ただ全体に、作り方がクサい。
「田地田畑」や「お金」を断るところ、
「父親に会いたい」と言う前に「母親は夢に出てきてくれるが」というところ、
個人的にはそこまで押さずに、さらっと進めれば良いのに、と思う。
このあたりはあまり好みではないなあ。
地方用の作り方だったのかも知れないが。
「ちりとてちん」(春雨):△
この人も久し振りに見た。
ざこばも正蔵もいない、ということで気楽に、と言って
花粉症対策のグッズを袂から取り出していろいろ喋ったりしている。
このあたりの「好き勝手」は悪くない。
ネタは華のない人が丁寧に演ろうとしている、という印象。
喜ぃさんから隠居に振るときに微妙に間が空くところが散見された。
「初物」の繰り返しはごく普通。
「ちりとてちん」の臭気はもっと強調しても良いと思う。
「赤」「緑」「黒」と色が混ざっていく経過は悪くないが、
淡々と進んでしまう印象。
竹さんの「きぃーん」と鼻を鳴らすのは可笑しい。
ここでも、竹さんが手に乗せてちりとてちんを食べるところ、
あまり臭気を感じさせなかった。
全体に華がないなあ。
「幾世餅」(文太):○
指に色気がある、という話からネタへ。
いつも通り、リズム良く進んでいく。
それがよくハマっていた。
若干、田舎者っぽい作り方が「松山鏡」と被らないでもないが。
何と言っても清蔵の熱に浮かされた真面目さと、
それを見守るおかみさんや旦那、医師といった周囲の人間の温かさが良い。
「米搗き屋の若い衆ではなく、京の若旦那」と偽る、という話を
ハメの入っている道中にするのは悪くない。
流れを損ねず上手く入れていた。
「幾世餅」と「くるよ餅」もいつも通り。
これもハマっていた。
サゲは「焼き餅はおまへん」。
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