4月8日(日)。
元々は前日に予定していた女川、仙石線へ。
仙台から小牛田、石巻、
石巻線で渡波まで。
ここから女川の間は代行バスが運行されている。
昨日の常磐線同様、JRの観光バスが使用されている。
【渡波駅の駅名標示】
バスは線路に沿って走っていく。
海沿いではあるが見たところ、あまり被害は出ていない感じ。
だが、女川に近付くと橋が崩れたり、路盤が流されているところが
散見された。
志津川駅以上に何も残っていない女川駅を通り過ぎ、
高台の運動場前のバス停に止まる。
ここで最初に目に付いたのが
「原発の交付金のおかげでこの運動場は作られました」という看板。
【運動場前の看板】
高台から町に降りる。
ほぼ何もないが、志津川に比べると復旧が始まっている、という印象。
昼間で多少明るく見える、というのもあるかも知れないが、
家の基礎がまだ残る志津川に比べ、
既に崩されて平地になっている分、
次にここに何かを作っていく準備が始まっている、と感じたからだろう。
その理由は、もしかすると原発の交付金のおかげで
町の財政が多少潤っているからではないか、と思った。
原発のために復旧どころか次の展望も見えない街があり、
もしかすると原発のおかげで復旧を進められる街がある。
役場の建物は壊れたまま放置されているが、
その威容も大したもの、と感じた。
【女川駅ホーム】
【平地】
【町役場】
代行バスまでかなり時間があるので、
少し早く出る路線バスで石巻まで戻った。
駅前では感じなかったが、
海沿いの家にはかなり被害が出ているんだな。
仙石線で、不通区間の石巻側の端である陸前小野へ。
仙石線は電化されているが、
架線に配電されていないためか、気動車を使っている。
【石巻駅に留置される電車】
【仙石線の気動車】
【陸前小野駅の駅名標示】
代行バスで松島海岸へ向かう。
途中の海岸近い所は、線路も街もかなりの被害を受けている。
松島は以前にも来たことがあるが、
ぱっと見たところは土産物屋も並んでおり、
そこそこ復旧に向けて進んでいる、という印象を受けた。
松島海岸からは一度高城町に戻り、仙台から宿泊地である郡山に入った。
【女川での写真】
最終日は純粋に鉄道趣味の旅行で、
郡山から会津若松、新潟、直江津と快速を乗り継いで移動。
富山からは「しらさぎ」に乗り、
最後は新快速で大阪に帰ってきた。
全体を通してみると、
復旧のスタートラインにも立っていない街、
スタートラインに立った街、
復旧が始まっている街、
と状況はバラバラ。
それを決定する要因は
「その街をどのようにするか」が見えるか見えないか、や、
経済的な事情など、様々だろう。
都会にとっては原発の方が影響が強いから、
どうしても地震・津波による被害よりも原発の被害、影響の方が
取り上げられる頻度は高く、記事も大きい。
津波については、せいぜい「ガレキ」に関して語られる程度。
しかし、津波による被害は甚大だし、
1年経過しても復興はおろか、復旧も始まっていない場所もある。
原発と地震・津波でどちらの被害が大きいか、などと言う必要もないが、
少なくとも、今の取り上げられ方と実際の被害の程度は
大きく乖離している、とは言える。
そのあたりを自分の目で確かめられ、意義深かった。
【旅全体の写真】
元々は前日に予定していた女川、仙石線へ。
仙台から小牛田、石巻、
石巻線で渡波まで。
ここから女川の間は代行バスが運行されている。
昨日の常磐線同様、JRの観光バスが使用されている。
【渡波駅の駅名標示】
バスは線路に沿って走っていく。
海沿いではあるが見たところ、あまり被害は出ていない感じ。
だが、女川に近付くと橋が崩れたり、路盤が流されているところが
散見された。
志津川駅以上に何も残っていない女川駅を通り過ぎ、
高台の運動場前のバス停に止まる。
ここで最初に目に付いたのが
「原発の交付金のおかげでこの運動場は作られました」という看板。
【運動場前の看板】
高台から町に降りる。
ほぼ何もないが、志津川に比べると復旧が始まっている、という印象。
昼間で多少明るく見える、というのもあるかも知れないが、
家の基礎がまだ残る志津川に比べ、
既に崩されて平地になっている分、
次にここに何かを作っていく準備が始まっている、と感じたからだろう。
その理由は、もしかすると原発の交付金のおかげで
町の財政が多少潤っているからではないか、と思った。
原発のために復旧どころか次の展望も見えない街があり、
もしかすると原発のおかげで復旧を進められる街がある。
役場の建物は壊れたまま放置されているが、
その威容も大したもの、と感じた。
【女川駅ホーム】
【平地】
【町役場】
代行バスまでかなり時間があるので、
少し早く出る路線バスで石巻まで戻った。
駅前では感じなかったが、
海沿いの家にはかなり被害が出ているんだな。
仙石線で、不通区間の石巻側の端である陸前小野へ。
仙石線は電化されているが、
架線に配電されていないためか、気動車を使っている。
【石巻駅に留置される電車】
【仙石線の気動車】
【陸前小野駅の駅名標示】
代行バスで松島海岸へ向かう。
途中の海岸近い所は、線路も街もかなりの被害を受けている。
松島は以前にも来たことがあるが、
ぱっと見たところは土産物屋も並んでおり、
そこそこ復旧に向けて進んでいる、という印象を受けた。
松島海岸からは一度高城町に戻り、仙台から宿泊地である郡山に入った。
【女川での写真】
最終日は純粋に鉄道趣味の旅行で、
郡山から会津若松、新潟、直江津と快速を乗り継いで移動。
富山からは「しらさぎ」に乗り、
最後は新快速で大阪に帰ってきた。
全体を通してみると、
復旧のスタートラインにも立っていない街、
スタートラインに立った街、
復旧が始まっている街、
と状況はバラバラ。
それを決定する要因は
「その街をどのようにするか」が見えるか見えないか、や、
経済的な事情など、様々だろう。
都会にとっては原発の方が影響が強いから、
どうしても地震・津波による被害よりも原発の被害、影響の方が
取り上げられる頻度は高く、記事も大きい。
津波については、せいぜい「ガレキ」に関して語られる程度。
しかし、津波による被害は甚大だし、
1年経過しても復興はおろか、復旧も始まっていない場所もある。
原発と地震・津波でどちらの被害が大きいか、などと言う必要もないが、
少なくとも、今の取り上げられ方と実際の被害の程度は
大きく乖離している、とは言える。
そのあたりを自分の目で確かめられ、意義深かった。
【旅全体の写真】
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