社号標 大正3年9月建立
石鳥居 大正3年8月建立
また、昭和60年(1985)には若宮八幡宮前に、五条坂の先人及び陶器祭運営功労者への感謝の意を込めて
「清水焼発祥之地 五條坂」の記念碑が建立された。
応神天皇(八幡神の主神)とその父母・仲哀天皇及び神功皇后を主祭神とし、
左の相殿に仲恭天皇を祀っている。
また、昭和24年(1949)に右の相殿に陶祖神の椎根津彦命が合祀されたことから
「陶器神社」としても知られている。
平安時代の天喜元年(1053)に、後冷泉天皇の勅願により源頼義が
六条醒ヶ井(現在の西本願寺の北東あたり)に創建したのが当社の始まりと伝えられ、
当初は六条八幡、左女牛八幡とも呼ばれた。
源氏一族や武士からの信仰が厚く、文治元年(1185)に平家が滅ぶと
源頼朝はさらに壮麗な社殿を造営しました。その社殿は応仁の乱の兵火で焼けましたが、
足利歴代将軍の保護と織田信長の庇護によって次第に復興し隆盛を極めた。
しかしその後豊臣秀吉によって東山七条の近くに移され、
社地を転々として慶長10年(1605)に照高院の道澄によって
五条坂のほぼ中央に当たる当地に移された。以来、徳川氏の尊崇を受けました。
現在の社殿は承応3年(1654)に再建されたものである。
毎年8月7日から10日までの4日間、若宮祭とともに陶器祭が行われ、
五条坂一帯で盛大に開催される陶器市は多くのひとでにぎわう。
このお宮独自の有卦迎えの宝船(陶器)を受けにくる人が多い。
これは、7つの「ふ」がついていて福助・福寿草・富士山・分銅・袋・文箱・筆と
縁起のいいものが宝船に乗っています。
末社
天満宮
鍾馗神社
本殿
蓬莱石
鏡です
孝明天皇 御胞衣埋納所
手水舎
八角形です
本殿玉垣内にある八角形の石造水船(南北朝)は、足利義満の寄進と伝え、
側面に至徳3年(1386)の銘がある。
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