よくあるのは 石仏 や お地蔵さん として祀られているのが 多いのですが
ここのは 五輪石塔です ブロックで 祠にしてありますし、花もお供えしてあります
単立寺院
単立寺院で、「千代野御所」と称する門跡尼寺の1つである。
無外如大尼によって創建された旧景愛寺の一支院です。
景愛寺は弘安8年(1285)、西陣五辻の地に創建された尼寺五山の随一で、
往時は足利氏の庇護を受けて寺運は隆昌したが、応仁の乱に罹災し、
近世初頭は景愛寺の塔頭宝鏡寺の住持が兼務するところとなり、廃絶するに至った。
宝慈院はこの景愛寺の支院であって、はじめ資樹院と号したが、
光厳天皇皇女華林恵厳尼が住持のとき、
如大尼の幼名千代野に因んで「千代野御所」と号し、紫衣を賜った。
それより代々華族り入室して法灯を嗣いできた。
48願所 第13番・・・・と読めるのですが
天台宗
木槿地蔵(もくげ)
西林寺は上京区の北端、鞍馬口に近い民家の立て込んだ街中にある天台宗寺院で、
本堂があるだけだが、もくげ地蔵を祀る寺として古くから知られた名刹である。
『山州名跡志』21巻によれば、当寺の本尊は勝軍地蔵で、役小角の作といわれる。
愛宕山の慶俊僧都が天狗太郎坊の示現によって感得したが、木槿の草むらの中に
みいだしたことから「木槿地蔵」と呼ばれるに至ったとしるしている。
一説にむかし当寺が荒廃していたとき、その周囲に木槿の花を挿し植えて
垣としたからともいわれる。
木槿は一に「むくげ」ともいい、中国・インドを原産とするアオイ科の落葉灌木で、
高さ約3メートル、夏から秋にかけて一重または八重の淡紅・白色などの花を咲かせる。
朝咲いて夕方にしおれるので「一口花」ともいわれ、
中国唐代の詩人白居易が「槿花一日の栄」とよんだ如く、はかない花の代表格とみなされた。
繊維が多いので折れにくく、これがために生垣に多く用いられた。
西林寺は延暦年間(782~806)、慶俊僧都によって王城火伏の寺として創建されたと伝えるが、
その後の応仁の兵火や天明の大火などによって再三焼失した。
今の本堂は弘化2年(1845)の再建と伝える。
したがってもとの本尊勝軍地蔵はなく、かわりに錫杖と宝珠をもつ半跏像の延命地蔵型となっている。
しかし本尊は代わっても、その名声は絶えることなく、江戸時代には
洛陽四十八願所の第十九番霊場として庶民の信仰厚く、京都の多くの人々の信仰をえている。
なお、境内には愛宕山狗太郎坊が市中へ飛来するとき、
しばし羽を休めたという「天狗松」というのがあった。
これに因んで寺の山号を羽休山飛行院と称したが、今は惜しくも松は枯死してしまった。
関連記事 ➡ 洛陽48願所 地蔵尊
天狗・太郎坊の井戸