前回の記事 ➡ 蔵のある風景 112回 小山町 付近
浄土宗
慶長元年(1596)、雲海岸誉上人が向島の地に創建した浄土宗の寺で、松風山と号する。
当寺は「狸寺」と呼ばれている。幕末の頃、裏山の指月の森に1頭の雌狸がいて、
つねにいたずらをして付近の人々を困らせていたが、
時の住職冠道和尚かこれを手なずけて八公と愛称した。
八公は和尚が手を叩くと裏山から姿をあらわし、和尚から食物を与えられた。
動物園のなかった時代大変珍重され、見物人が多かった。
付近に住まいしていた陶工高橋道八(2代目)は陶製の狸像を作って門前に安置したので、
「狸寺」と呼ばれるようになった。
因みに八公は鳥羽伏見の戦により、行方不明になったと伝わる。
先代の寛順和尚がタヌキの置物の収集を始め、
当代の小坂井良住職も父親の遺志を継いでタヌキ・コレクションに力を注いでいる。
関連記事 ➡ 仁阿弥高橋道八宅
月橋院(げっきょういん)
この地には、文明年間(1469~87)には土御門天皇建立の般舟三昧院があったが、
同院は伏見築城に際して上京区西陣の地に移った。
その後に真言宗指月山円覚寺が建立されたが、
秀吉と親しい永平寺の亀州宗鶴和尚が招かれ、
当寺に来住して曹洞宗に改めた。
秀吉は豊後橋(今の観月橋)竣工の日、
当寺に遊んで月を賞したことから月橋院とあらためたとつたえる。
門前の石碑 忠魂
昭和6年3月 建立 帝国在郷軍人
関連記事 ➡ 禁裏道場蹟 紀元2600年記念
石鳥居 扁額には 「乃木神社」とあります
京阪電気鉄道株式会社 乃木神社鎮祭日所献 でしょうか
日付は 大正5年9月13日 になっています
大正元年9月13日が 明治天皇の御大喪の儀の日です
乃木希典は当日、妻と共に殉死しました
乃木希典は台湾総監を歴任していた その関係でしょうか
社号標は 紀元2600年記念 の奉納です
当社は、明治天皇に殉死した乃木希典夫妻を祭神とし、
大正5年(1916)有志の人々によって創祀された旧府社である。
表門は台湾総督であった乃木将軍を記念して
台湾阿里山の桧材を用いて造られた4脚門、
扉はつなぎ目なしの1枚板を用いている。
境内には、旅順攻撃のとき司令部に使った中国の民家が展示してある。
詳しく説明された由緒書
多くの 石碑が 建立されていました
学区ごとに 戦没者の名簿が記されています
宝物館
中国の民家
さざれ石
拝殿 前
狛馬
狛犬
山城おびす神社
十三重塔
本殿
関連記事 慰霊碑 戦没碑 ➡ 慰霊碑 戦没碑