北朝の光明・崇光両天皇の御陵。東西に並んで北面する円墳。
光明天皇は後伏見天皇の皇子、
延元元年(1336)足利尊氏によって擁立された北朝2代目の天皇である。
崇高天皇は光厳天皇の皇子、光明天皇についで北朝3代目の天皇となられる。
両帝ともはげしい南北朝の動乱下にあって、幽閉などのことがあったが、
光明天皇は退位後、近畿一円の寺院を巡拝され、
康暦2年(1380)6月24日、大和国長谷寺の草庵で崩御された。60歳
崇光天皇は応永5年(1398)1月13日、伏見殿にて崩御された。65歳。
なお、域内には崇光天皇皇子治仁親王の墓がある。