サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

ダーチャへの道

2007-06-25 | ロシア取材2007
            もし、どちらへ??

列車とバスを乗り継いで、ベロオーストロフのダーチャへ。
この日は土曜日。まだ肌寒い5月上旬だというのに
ダーチャに向かう人が、列をなして森のなかに消えていく。
じつはこの前にダーチャ協会への取材があった。
協会の幹部たちは、「今のダーチャはホビー」と言い切るのだが、
何をもってホビーなる言葉を定義してるのか、
日本の感覚では推し量れないものがある。


手にしているのは「バケツトイレ」。
これをこのままトイレ小屋に設置して、たまったら肥溜めに。
ううむ、合理的だが豪放すぎ。
ダーチャ嫌いの人には耐えられないだろうなぁ。


今回泊めていただくのはタチアナさんのダーチャ。
6年前に家つきで購入し、修理・増築したのだそう。


着くなり労働奉仕に汗する若い衆。
雑草を抜き、土を耕し、これから苗を植えるところ。

春のダーチャを見るのはこれが初めて。
まだ誰も来てないんじゃないかと思っていたのに、
どこのダーチャでも、畑の準備に余念がなかった。
これを「ホビー」と呼ぶのだとしたら、
「ホビー」のレベルが違いすぎ!
Comments (2)
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ホームステイ

2007-06-15 | ロシア取材2007
5月10日夕刻、サンクトペテルブルク、プルコヴォ空港着。
迎えにきてくださったI さんと共に、車で市内へ向かう。
ヴォロネジのあとで見るペテルブルクは、郊外からして華がある。
この街に来るのは3度目だけれど、
高度成長ガンガンの勢いが、車窓からも見てとれる。

今回はダーチャに泊まる関係上、ホテルをとらずにホームステイ。
目指すは、プリモルスカヤ地区にそびえる
ソ連時代の超モダン(当時)巨大アパート群のひとつである。
Oさんとは同じ建物の別の部屋に宿泊するので、
とりあえず両方の部屋にご挨拶。すると!!


こちらシュトゥーパ。4ヵ月。Oさんの部屋在住。


こちらムィーシカ(ねずみちゃん)。美猫!
スーツケース、開けたら入るは万国の猫共通。
どこに行っても猫ちゃんがいて嬉しいかぎり!

そのうえおいしい家庭料理!

じつはモスクワの空港で食べ過ぎて腹いっぱいだったのだが、
なぜかバクバク入ってしまう。不思議だ…。

ところでこのアパートからは、フィンランド湾が見える。 

ひょっとして、プリバルチスカヤ・ホテルの近くとか??
「ダーダー!すぐそこよ!」とホストファミリーのタチアナさん。
なーんだ、ソ連時代に泊まったホテルのすぐ近くだったのか。
ってことは、最寄りのプリモルスカヤ地下鉄駅は「あの」駅か?
記憶を呼び返すと確かに、17年前に右往左往した駅の面影が
あるのだけれど、周囲があまりに栄えていて見違えてしまった。
ほんとにロシアは今、スゴイことになってるわい。
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ヴォロネジ子供美術学校

2007-05-31 | ロシア取材2007
子供音楽グループ『ヴァルシェブニキ(魔法使いたち』に会う前に、
ヴォロネジでひとつしておくことがあった。
それは、S先生が紹介してくれたヴァレリーさんと会うことだ。

ヴァレリーさん(男性です)は、「子供美術学校」に勤務し、
子供たちに日本語を教えてる。ヴォロネジを訪問する日本人は珍しく、
子供たちに〝ホンモノの日本語〟と触れさせたいので
できれば5月8日18時からの日本語教室に来てほしい、
と前から言われていたのだが、その時間は『ヴァルシェブニキ』との
インタビューがあるので、急遽その日の朝、学校を訪ねることにした。



市中心部にある「子供美術学校」は、40年以上前に創立。
国立でありながら授業料を払うかわりに、4年間で
絵画、彫刻など美術全般を集中的に学ぶ。いわゆる英才教育である。
5歳~10歳の初級クラスを2年、11歳~14歳の上級クラスを2年。
午前中は8時30分から12時まで、午後は3時から9時まで。
夜の部は大人も一緒に学べるのが、この学校の一番の特色だ。

校長、副校長以下、先生方総出で校内を案内してくださる。
教室を一巡した印象では、ここでは基礎の基礎を徹底して教え、
そのうえで生徒たちの独創性をのばす教育を施しているもよう。
基礎を決しておろそかにしないのは、ロシアの常だ。

さて、ここへ来た真の目的は、日本語交流。
日本語を学ぶナターシャちゃんが、日本語でご挨拶。
ナマの日本語に触れていないので、ちょっぴり硬い感じだが、
正統派のきれいな日本語だ。同行のママは数学の先生だそう。
ヴァレリーさんのクラスでは、日本の童謡を題材にして、
子供たちに自由に絵を描かせるという試みを実施。
何枚か絵を見せていただいたが、日本と中国のイメージが
ごっちゃになっていたり、赤い靴はいてる着物姿の女の子が、
Tシャツにジーンズの異人さんに連れられて
アメリカ行きの船に乗ってっちゃったり(笑)。


うーん、ちょっと違うな~、と思いながらも
ロシアの子供たちの日本に対するイメージが垣間見えて面白い。
なによりも、語学と歌と絵画を結びつけて学ばせる、
という指導する側の発想に感心させられたものであった。
(ほかにも傑作絵画が目白押し!またの機会に…)
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ビムのいる町

2007-05-27 | ロシア取材2007
ヴィタリーさんが予約してくれたホテル「ロシア」のすぐ近く、
革命大通り沿いの人形劇場の前に、ビムの銅像はあった。
二度と会うことのかなわなかった、大好きなおじいちゃんを
ずっとずっと探し続けていたビム……。

ヴォロネジ情報を求めてネットを彷徨っていたときに、
初めてこの町に『黒い耳の白い犬ビム』の銅像があることを知った。
映画にもなった忠犬物語の作者ガブリエル・トロエポリスキーが
ヴォロネジ出身なのだという。
なんの情報もなく、イメージもわかなかった町ヴォロネジが、
それを知ったとたん、とても懐かしい場所に思えた。
もし犬を飼うことがあったとしたら、きっと「ビム」と名づけよう
とウン十年思い続けてきたそのビムがいる町だったのだから……。


町の基礎を築いたピョートルⅠ世。
彼の命により、ここにロシア初の
造船所が建てられたのが1696年。


町のなかにそびえる聖母受胎告知聖堂。


町を二分する大河のような人工貯水池。


一面のたんぽぽ畑。おとぎの町ヴォロネジ…。
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サーブ2000

2007-05-26 | ロシア取材2007
ヴォロネジの民間航空会社パリョート!
これを利用するのを楽しみにしてた。
飛行機の種類はなんだろう?小型機ならヤコブレフ?
ニェット!「S2000」こと「サーブ2000」という機種だった。

スウェーデンの航空機&自動車メーカーSAABの6枚羽根プロペラ機!
右2席左1席×17列の全50人乗り。めちゃめちゃ可愛い!!
機内サービスのドリンクは、コーカサス随一の
ガス入りミネラルウォーター「ナルザン」のミニペットボトル。
機内で配られるキャンディの包み紙はパリョートのロゴ入り。



なにもかもが可愛くて、
夢の町ヴォロネジへの序曲にふさわしかった。
モスクワからヴォロネジまで、約1時間の空の旅。
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ドモジェドヴォ空港

2007-05-25 | ロシア取材2007
シェレメチェヴォ、ドモジェドヴォ、ヴヌコヴォ、ブイコヴォ。
モスクワ郊外には4つの空港がある。
従来は、日本便も発着する北のシェレメチェヴォ空港が
モスクワの顔たる国際空港とされてきたが、
今や欧州便の多くが南のドモジェドヴォ空港に移りつつあるとか。
ヴォロネジ行きの飛行機も、ここから出る。

ドモジェドヴォといえば、ソ連時代末期に訪ねたときの
ガラっぱちで小汚い印象があまりに強かったので、
とても同じ空港とは思えなかった。
なんときれいで表示もわかりやすいこと!
レストラン&ショップのフロアなど、パリの空港みたいである。
ロシアらしいおとぼけといえば、「世界のマトリョーシカ」を
テーマに飾られていた各国仕様の巨大マトリョーシカ。
(といってもビニールを膨らませただけだが)
上の写真はその日本ヴァージョン。
ゲイシャ風情にボサっとかぶせただけのカツラが笑える。

ときに「国内線でも2時間前には空港入りするように」と
いろいろな人から言われていたのだが、肝心のチェックインは
搭乗40分前にならないと始まらない。
なので、それまでは手持ち無沙汰だ。
ところがそのあと、いきなりあわただしくなる。
南方に発つ便が集中し、自爆テロのあったこの空港では、
セキュリティ・チェックが異常に厳しく
ゲートにたどりつくまでに何度もパスポートをチェックされる。
すぐ目の前で、イスラム系の男性たちが別室に連行されてしまい、
残された同胞たちは目が泳ぎまくって泣きそうである。

手荷物検査がまた、徹底して厳しい。
機内持込荷物にもシールを貼られるし、
靴は靴用のカゴ、コートなどは衣類用のカゴに入れ、
手荷物とともにX線を通す。人間本体も前後左右からおさわりチェック。
その間、乗客たちはずっと靴を脱いだままなので、
用意された青いビニールの足カバーをはいて、
小奇麗な空間をペタペタ歩く。
滑稽な光景だが、みんな必死だ。
なにせX線にちょっとでも不審な影が映れば、容赦なく止められ、
「これはなんだ?」と尋問される。
「カメラです」と答えれば、カメラを取り出して
再度手荷物をX線にかけろと言われる。それでも影が映れば、
手荷物の奥の奥までひっくり返され、「これはなんだ?」の繰り返し。
同行のOさんはこれを3度やられたあげく、
緑色に怪しく光る“不審物”の正体は、ホッカイロと判明(笑)。
ちなみにまったく同じ手荷物を持っていても、
シェレメチェヴォではスルーである。
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ガルブシュキンの店員

2007-05-18 | ロシア取材2007
「モスクワのアキバ」こと、ガルブシュカへ。
行って初めて、そこがあの「ガルブシュキン・ドヴォル」だと知る。
何が“あの”かというと、ヴォロネジの子供音楽スタジオ
『ヴァルシェブニキ・ドヴァラ』が何度かコンサートを開いた
モバイル・プラザのある場所がココだったのだ。

電気製品、携帯電話、オーディオ用品などなど
秋葉原をひとつの巨大ビルのなかに封じ込めたかのような空間は
男子心をいたくくすぐるらしく、もう前しか見えていないKくんは、
S.Rさんを通訳に従えてCDショップに突進。
店員さんにあれこれ希望のものを尋ねまくる。

ここで特筆すべきは、若い男子店員の対応だ。
このショップ、四方をCDラックに囲まれたブース状のつくりで、
中央に店員がひとり立ち、四方からの注文に応じるしくみ。
右の客から注文を聞き、奥に下がってサッと所望のCDを出すや否や
くるりと左の客のほうを向き、間髪おかずに注文の品を差し出す。
さながら寿司屋のカウンターの板さんのようである。
こんなにキビキビ働くロシア人は初めて見た!
オールジャンルに精通している彼は、どんな質問にも即答。
なおかつフットワークも軽く、自分の店にないCDは
ほかの店を全部回って探し出してくる。
これがロシアのオタクなのか??
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マヤコフスキー博物館

2007-05-18 | ロシア取材2007
今回のモスクワは、トランジットのために立ち寄ったもので、
特に取材もなく、とりたてて予定もたてていなかった。
ただひとつ、マヤコフスキー博物館に行くことだけを除いては。

入場料80ルーブル、写真撮影は別途150ルーブル。
革命詩人マヤコフスキーが住んでいた建物に、書籍、雑誌、書簡、
絵画、舞台写真、彼がスローガンを書いたポスターなどなど
膨大な作品の数々をコラージュして展示するという趣向。
NYのグッゲンハイム美術館のように、上階から螺旋状に降りながら
作品をたどる構造で、全館がマヤコフスキーをモチーフにした
一大インスタレーションのよう。ちょっとやり過ぎ感もあるが、
ロシア・アヴァンギャルドの息吹を全身で体感できようというものだ。


「ハラショー!」

各フロアには雑記帳のようなノートがぶら下がっていて、
作品解説がなされているようだが、いちいち見ている余裕はない。
なにしろフロアごとに、職務に忠実なバブシュカが待ち構えていて、
「下からじゃない!上の階から見なさい!」と叱咤され、
「撮影料は払ったか?」「それはカメラか?ビデオじゃないのか?」
とたびたび尋問を受け、監視されながらの鑑賞である。
そういえば博物館入口にも案内のおばあちゃんが立ってたし、
チケット売りもクローク係もおばあちゃんだった。
いったい館内には何人のバブシュカが生息してるんだ!?


ウラジーミル・マヤコフスキー(1893~1930)
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戦勝記念日

2007-05-06 | ロシア取材2007
5月9日の戦勝記念日を控えて、モスクワの街はどこも華やか。
ソ連チックな巨大ポスターがあちこちを彩っている。

どういうわけだか日本のガイドブックのたぐいは、
この時期のポスターの飾りつけやらパレードを
5月1日のメーデーのものだと断言して紹介しているのだが、
それは大きな間違えである。ご覧あれ!
上のポスターは「戦勝記念日」、下は「5月9日」と書いてあります!



ロシア語の読める人にひと目見せて確認すればわかることなのに、
安易なデータの引き写しは、やめていただきたいものである。

ちなみに「戦勝記念日」とは、第二次世界大戦で
ソ連軍がナチス・ドイツに勝利した日のことで、
この戦争をロシアでは「大祖国戦争」と呼ぶ。
ソ連は地続きのドイツからじりじりと侵略を受け、
それはそれは悲惨な被害を蒙った。想像してみてほしい。
なにせ森のなかからいきなりナチスが現れるのだ。
アメリカが常に本土無傷で戦うのとはわけが違う。
村を次々焼き討ちにされ、何千万もの人命を失い、
だがしかし“冬将軍”を味方につけて、執念の勝利……。

このドラマティックな勝利を讃えて、
今もロシアの人々は、この日を盛大に祝う。
これまた日本のガイドブックには、
「ソ連時代には軍事パレードが行われた」と過去形で書かれているが、
こちらはどうやら11月の革命記念日と混同してるらしく、
5月9日には今でも各地で軍事パレードは行われている。
ただし、戦車やミサイルが繰り出すのではなく、
兵士や退役軍人たちが人々に讃えられて行進し、
無名戦士の墓に花をたむける、というもの。
日本では「戦争讃美」の行為としてとらえられかねないが、
ロシア人にとってこの日は、戦争を終わらせた日、
村や町に平和が戻った日として、記憶にとどめるべき日なのである。


旧KGB本部もお色直し。
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イズマイロヴォの夜

2007-05-05 | ロシア取材2007
5月5日夕刻――。
ほぼ定刻どおりにモスクワ・シェレメチェヴォⅡ空港に到着。

今回はトランスファーをつけていないので、市内までの移動は自力。
「タクシ?タクシ?」の呼び込みをかきわけて、
空港前から二連結のバス(荷物込み50ルーブル)に乗り込む。
同行編集者のOさんは、4度目の訪ロで余裕の構えだが
ロシア初めてのKくんは、見るものすべてに大はしゃぎ。
「転倒注意」の標識を指差して笑い転げて転倒しそうになる。



終点レチノイ・ヴァグザル(河の駅)。
ここからメトロ(乗り放題17ルーブル)を乗り継ぎ、
パルチザンスカヤ駅へ。駅構内を飾る巨大モニュメントに、
またしてもKくん、発狂寸前である。

さてここまでのシミュレーションはカンペキだったのだが、
宿泊先のイズマイロヴォは巨大ホテル群。
あたりは薄暗く、どの建物が我々の宿泊先だかわからない。
正面はアルファ棟。斜め左はガンマ・デルタ棟。
いったいどこにあるんだ、我々の「ヴェガ棟」は??
ガラガラ荷物を引きずって、ようやく一番奥にヴェガ棟を発見。
待ち合わせしていたモスクワ在住のS.Rさんを20分以上待たせて
やっとホテルに到着したのであった。

この日はすることもないので、周辺のホテル探索へ。
売店をのぞいては、チャチで謎めいた商品の数々に、
過剰に反応するKくん。
昔はそうだったよなー、と初ロシアの日を思い出す。

追記:空港送迎をつけなかった、と言ったところ、
モスクワっ子のS先生にビックリされた。
「え!バスなんかどこから出てるの!?
なんでそんなこと知ってるの!?」
空港のサイトに出てますけど…。
ちなみにモスクワには「クラスナヤ・ゴールカ」という
送迎サービス業者があって、電話1本で車を回してくれるそう。
空港から市内1200ルーブル、家から空港800ルーブルとのこと。
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