サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

単行本のできるまで③

2005-03-27 | ダーチャ本関連
<その3・ダーチャ執筆&追加取材編>

*ロシア取材を終えて、あとはひたすら原稿を書くだけ。
だが、ロシアは変わった→ダーチャも変わった→野菜づくりは
もうしない→だけど変わらないのは「心」である→でもやっぱ
ロシアは変わった!……の堂々めぐりで展開が決まらない。
いちおうの締切りは10月末、年内発刊をめざす。

この頃はむしろ裏ネタ「Oさんモスクワへ行く!」の執筆に邁進。

8月12日 ロシア旅行社へ取材報告とお礼参り。
このあと編集者Oさんと神保町のロシア料理店「ろしあ亭」で夕食。
店長さんに取材写真をお見せしたところ、大層興味をもたれ
ロシア専門誌の人に会ってみてはとの助言受ける。

9月 9日 Oさんをまじえて神奈川県日本ユーラシア協会再訪。
互いのダーチャツアーを報告しあう。後日「ツアー事後報告会」が
あるのでそれに参加しては?とお誘い受ける。

9月11日 田舎暮らしを実践する知人H氏を訪ねる。
が、取材依頼してから何ヵ月もたった今「日本編」の先行きが読めず
いつものとおり食べて飲んだだけで帰ってくる。

*あとから「あれで取材になったの?」と電話が。ヤバっ。

9月15日 大久保で「スカパン」を見たあと屋台村でMに相談。
構成や展開に迷いが生じていたためであるが、結局思うとおりに
やるしかあるめぇ、との結論に。

9月16日 ロシア専門誌の編集者に取材。
ダーチャについて丹念な取材をしておられたので周辺事情をうかがう。
残念ながら本文の部分的引用は不可とのこと。

取材後Oさんと御茶ノ水のロシア料理店「サラファン」で会食。
進行状況と予定枚数を伝える。予定の120ページを軽く越えそう。

9月19日 Mとユーラシア協会へ。ツアーの事後報告会に参加。
シャシリクやブテルブロートを食べ、参加者のコメントを拾い、
ダーチャの写真やビデオを見せていただく。
Oさん途中から合流するも、ロシア愛好家特有の昭和なノリが
肌に合わなかったのかしらん、早々に退散。

9月26日 MとOさんとでビッグサイトで開催中の旅行博へ。
ユーラシア協会の計らいで、ハバロのダリゲオ・ツアーズの
社長さんにダーチャツアーについてうかがう。

*この時の取材はまとめやすかった!しっかりテーブルについての
対面取材だったので、ロシア語を聞き取る余裕があったせい。
ひるがえって、モスクワでは歩き回りながら同時通訳状態の取材。
なので本人の語調がつかめず、すべて通訳さんの訳語どおりに。
これはいかん!と原稿見直し、引用した話し言葉の文体を
それぞれのキャラを思い出しながら改めることにする。

10月22日 Mにチェックしてもらったのち
第1章「ダーチャとは何か」のテキストデータを送信。

10月23日 同様に第2章「モスクワ取材編」を送信。
問題はこのあと。「日本編」をどうするかで迷いがあったが、
今まで取材してきて引き下がるわけにはいかないので、
グリーンツーリズム系の話も必要と判断する。

10月25日 渋谷ロゴスキーにて日本クラインガルテン研究会の
事務局長氏に取材。穏やかでとても話しやすい方であったが、
「なぜ(ドイツではなく)ロシアなのか?」という疑問と、
「すでにダーチャ(のようなもの)は日本にある」
との2点をのっけに強調。うーん、なんか違うんだな。
これにより改めてダーチャの特異性を痛感す。

取材後、ロゴスキーの黒パンを買って帰る。

11月11日 どうしても「ダーチャ料理」を入れたくて、
ユーラシア料理研究家のOさんに追加取材。
ハラいっぱいロシア料理をくらう。おいしかった!
いくらなんでもこれ以上取材してるわけにいかないので、
これを最後の取材にすると宣言。
なにしろ10月締切りとっくに過ぎてますから。

11月12日 かなりMにダメ出しを受けたのち第3章を送信。

*第3章の精神論は、企画の段階で骨子はかたまっていた。
なのに、いざ書くと書けそうで書けない!
なんか章によって文体違ってるんですけど。

11月20日 第4章を送信。Mと「ボツになるかもしれないから、
長いあとがきのつもりで」と話していた懸案の日本編である。
これで第1稿はすべて終了。

*第4章つまり結論は、かなり早い段階から書き始めていた。
っていうか、すべてはこの「結論」にたどりつくために書いていた
といったほうがいいかも。たとえボツになっても、
編集者より的確なMの検閲はパスできたので、個人的には満足。
この後1ヵ月のブキミな沈黙が……。(つづく)
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