やあ、いらっしゃい。
毎日口癖の様に「暑い」と言っているだろうが、今夜は格別に蒸すねぇ。
暑気払いになればと思って、西瓜を冷やしておいたよ。
この、人間の首程も有る大きさ、立派なものだろう?
と或る畑で収穫した物を数個譲り受けてね、多分此処に居る人数分に分けられると思うよ。
今包丁で切るから、ちょっと待ち給え。
美味しいかい?
ああ、それは良かった。
夏といえば、こいつに齧り付くのが風流、赤い汁が迸って、まるで血の様じゃないか。
…不謹慎な表現、済まなかったね。
口直しに今夜は、西瓜に纏わる怪談を紹介しよう。
この百物語の会の席ではお馴染の岡本綺堂の作で、題はずばり「西瓜」。
或る年の夏休みに、静岡の実家に帰った倉沢と言う友人を訪ねて、半月あまり逗留した「M君」が語ってくれた話だそうだ。
倉沢の家は旧幕府の旗本で、維新の際にその祖父という人が旧主君の供をして、静岡へ無禄移住をした。
平生から用心の良い人で、多少の蓄財も有ったのを幸いに、幾らかの田地を買って帰農したが、後には茶を作るようにもなって、士族の商法が頗る成功したらしく、今の主人即ち倉沢の父の代になると大勢の雇人を使って、中々盛んにやっているように見えた。
祖父という人は既に世を去って、離れ座敷の隠居所は殆ど空家同様になっているので、私は逗留中そこに寝起きをしていた。
「母屋よりも此処の方が静かで良いよ」と倉沢は言ったが、実際此処は閑静で居心地の良い八畳の間であった。
しかしその逗留の間に三日程雨が降り続いた事も有り、私はやや退屈を感じなくもなかった。
勿論、倉沢は母屋から毎日出張って来て、話し相手になってくれるのではあるが、久し振りに出逢った友達というのではなし、東京の同じ学校で毎日顔を合せているのであるから、今さら特別に珍しい話題が湧き出して来よう筈も無い。
その退屈が段々に嵩じて来た三日目の夕方に、倉沢は袴羽織という扮装で私の座敷へ顔を出した。
彼は気の毒そうに言った。
「実は町に居る親戚の家より、老人が急病で死んだという通知が来たので、これからちょっと行って来なければならない。都合によると、今夜はそこへ泊まり込む事になるやも知れぬ。君一人で寂しいだろうが、まあ我慢してくれたまえ。この間話した事の有る写本だがね。家の者に言いつけて土蔵の中から捜し出させて置いたから、退屈凌ぎに読んで見たまえ。格別面白い事も有るまいとは思うが……」
彼は古びた写本七冊を私の前に置いた。
「この間も話した通り、僕の家の六代前の主人は享保から宝暦の頃に生きて居たのだそうで、雅号を杏雨(きょうう)と言って俳句などもやったらしい。その杏雨が何くれとなく書き集めて置いた一種の随筆がこの七冊で、元々随筆の事だから何処まで書けば良いという事もないだろうが、とにかくまだこれだけでは完結しないとみえて、題号さえも付けてないのだ。維新の際に祖父も大抵の物は売り払ってしまったのだが、これだけはまず残して置いた。勿論、売るといったところで買い手も無く、さりとて紙屑屋へ売るのも何だか惜しいような気がするので、保存するという意味でもなしに自然保存されて、今日まで無事であったという訳だが、古葛篭の底に押し込まれたままで誰も読んだ者も無かったのを、先頃の土用干しの時に、僕が測らず発見したのだ」
「それでも二足三文で紙屑屋なんぞに売られてしまわなくって好かったね。今日になってみれば頗る貴重な書き物が維新当時に皆反古にされてしまったからね」と、私は所々に虫喰いの有る古写本を眺めながら言った。
「なに、それほど貴重な物ではないに決まっているがね。君はそんな物に趣味を持っているようだから、まあ読んでみて、何か面白い事でも有ったら僕にも話してくれたまえ」
こう言って倉沢は雨の中を出て行った。
彼の言う通り、私は若いくせにこんな物に趣味を持っていて、東京に居る間も本郷や神田の古本屋漁りをしているので、一種の好奇心も手伝って直ぐにその古本を引き寄せて見ると、成る程二百年も前の物かも知れない。黴臭い様な紙の匂いが何だか昔懐かしい様にも感じられた。一冊は半紙二十枚綴りで、七冊百四十枚、それに御家流で丹念に細かく書かれているのであるから、全部を読了するには中々の努力を要すると、私も始めから覚悟して、今日は何時もよりも早く電燈のスイッチを捻って、小さい卓袱台の上でその第一冊から読み始めた。
随筆と言うか、覚え帳と言うか、その中には種々雑多の事件が書き込まれていて、和歌や俳諧等の風流な記事が有るかと思えば、公辺の用務の記録も有る。
題号さえも付けてない位で、本人は勿論世間に発表する積りは無かったのであろうが、それにしても余りに乱雑な体裁だと思いながら、根気良く読み続けている内に「深川仇討の事」「湯島女殺しの事」等と言うような、その当時の三面記事らしき物を発見した。
それに興味を誘われて、更に読み続けて行くと、「稲城家の怪事」という標題の記事を又見付けた。
それにはこういう奇怪の事実が記されてあった。
原文には単に今年の七月初めと書いてあるが、その年の二月、行徳(ぎょうとく)の浜に鯨が流れ寄ったという記事から想像すると、それは享保十九年の出来事であるらしい。
日も暮れ六つに近い頃に、1人の中間と思しき若い男が風呂敷包みを抱えて、下谷御徒町辺を通りかかった。
そこには某藩侯の辻番所が在る。
これも単に某藩侯とのみ記してあるが、下谷御徒町というからは、恐らく立花家の辻番所であろう。
その辻番所の前を通りかかると、番人の1人がかの中間に眼を付けて呼び止めた。
「これ、待て!」
由来、武家の辻番所には「生きた親爺の捨て所」と川柳に嘲られるような、半耄碌の老人が詰めて居るものだが、此処には「筋骨逞しき血気の若侍のみ詰め居たれば、世の人常に恐れをなしけり」と原文に書いてある。
その血気の若侍に呼び止められて、中間は大人しく立ち止ると、番人は更に訊いた。
「おまえの持っている物は何だ?」
「これは西瓜で御座ります」
「開けて見せろ」
中間は素直に風呂敷を開けると、その中から女の生首が出た。
番人は声を荒くして詰った。
「これが西瓜か!」
中間は真っ蒼になって、口も利けなくなって、唯ぼんやりと突っ立っていると、他の番人も続いて出て来て、直ぐに彼を捻じ伏せて縄をかけてしまった。
三人の番人はその首を検めると、それは二十七八か、三十前後の色こそ白いが醜い女で、眉も剃らず、歯も染めていないのを見ると、人妻でない事は明らかであった。
ただ不思議なのは、その首の切口から血の滴っていない事であるが、それは決して土人形の首ではなく、確かに人間の生首である。
番人らは一応その首を検めた上で、再び元の風呂敷に包み、更にその首の持参者の詮議に取りかかった。
「おまえは一体何処の者だ?」
「本所の者で御座ります」
「武家奉公をする者か?」
それからそれへと厳重の詮議に対して、中間は震えながら答えた。
彼はまだ江戸馴れない者であるらしく、殊に異常の恐怖に襲われて半分酔っ払いの様に呂律が回らず居たが、それでも尋ねられる事に対しては皆、一通りの答弁をしたのである。
彼は本所の御米蔵の側に小屋敷を持っている稲城八太郎の奉公人で、その名を伊平といい、上総の八幡在から三月前に出て来た者であった。
したがって、江戸の勝手も方角もまだよく判らない。
今日は主人の言い付けで、湯島の親類へ七夕に供える西瓜を持って行く途中、道を誤って御徒町の方角へ迷い込んで来たものであるという事が判った。
「湯島の屋敷へは今日初めて参るものか?」と、番人は訊いた。
「いえ、今日でもう四度目で御座りますから、なんぼ江戸馴れないと申しても、道に迷う筈は無いので御座りますが……」と、中間は自分ながら不思議そうに小首を傾げていた。
「主人の手紙でも持っているか?」
「御親類の事で御座りますから、別にお手紙は御座りません。ただ口上だけで御座ります」
「その西瓜というのはお前も検めて来たのか?」
「お出入りの八百屋へ参りまして、私が自分で取って来て、旦那様や御新造様のお目にかけ、それで宜しいと言うので風呂敷に包んで参ったので御座りますから……」と、彼は再び首を傾げた。
「それが途中でどうして人間の首に変りましたか。まるで夢の様で御座ります。まさか狐に化かされたのでも御座りますまいが……。何がどうしたのか一向に解りません」
暮れ六つといっても、この頃の日は長いので往来は明るい。
しかも江戸の真ん中で狐に化かされるなどという事の有るべき筈がない。
さりとて田舎者丸出しで見るから正直そうなこの若い中間が嘘偽りを申立てようとも思われないので、番人らも共に首を傾げた。
第一、何かの子細が有って人間の生首を持参するならば、夜中密かに持ち運ぶべきであろう。
暮れ方といっても夕日の光りのまだ消え残っている時刻に、平気でそれを抱え歩いているのは、あまりに大胆過ぎているではないか。
もし又、彼の申立てを真実とすれば、近頃奇怪千万の出来事で、西瓜が人間の生首に変るなどとは、どう考えても判断の付かない事ではないか。
番人らも実に思案に惑った。
「どうも不思議だな。もう一度よく検めてみよう」
彼らは念の為に、再びその風呂敷を開けて見て、一斉にあっと言った。
中間も思わず声を上げた。
風呂敷に包まれた女の生首は元の西瓜に変っているのである。
叩いてみても、転がして見ても、それは確かに青い西瓜である。
西瓜が生首となり、更に西瓜となり、さながら魔術師に操られたような不思議を見せたのであるから、諸人の驚かされるのも無理はない、それも一人の眼ならば見損じという事も有ろうが、若い侍が三人、若い中間が一人、その四人の眼に生首と見えた物が忽ち西瓜に変るなどとは、まったく狐に化かされたとでも言うの他は有るまい。
かれらは徒らに呆れた顔を見合せて、暫くは溜息を吐いて居るばかりであった。
伊平は無事に釈された。
如何に評議したところで、結局どうにも解決の付けようが無いので、武勇を誇るこの辻番所の若侍らも伊平をそのまま釈放してしまった。
たといその間に如何なる不思議が有ったにしても、西瓜が元の西瓜である以上、彼らはその持参者の申立てを信用して、無事に済ませるより他は無かったのである。
伊平は早々に此処を立去った。
表へ出て若い中間はほっとした。
彼は疑問の西瓜を抱えて、湯島の方へ急いで行きかけたが、小半町程で又立ち止った。
これをこのまま先方へ届けて好いか悪いかと、彼はふと考え付いたのである。
どう考えても奇怪千万なこの西瓜を黙って置いて来るのは何だか気懸りである。
さりとて、途中でそれが生首に化けましたなどと正直に言うわけにもいくまい。
これは一先ず自分の屋敷へ引っ返して、主人に一応その次第を訴えて、何かの指図を仰ぐ方が無事であろうと、彼は俄かに足の方角を変えて、本所の屋敷へ戻る事にした。
辻番所でも相当に暇取ったので、長い両国橋を渡って御米蔵に近い稲城の屋敷へ帰り着いた頃には、日もすっかり暮れ切っていた。
稲城は小身の御家人で、主人の八太郎夫婦と下女一人、僕一人の四人暮らしである。
折りから主人の朋輩の池部郷助(いけべごうすけ)と言うのが来合せて、奥の八畳の縁先で涼みながら話して居た。
狭い屋敷であるから、伊平は裏口からずっと通って、茶の間になっている六畳の縁の前に立つと、御新造のお米(よね)は透かし視て声をかけた。
「おや、伊平か。早かったね」
「はい」
「なんだか息を切っているようだが、途中でどうかしたのかえ?」
「はい。どうも途中で飛んだ事が御座りまして……」と、伊平は気味の悪い持ち物を縁側に降ろした。
「実はこの西瓜が……」
「その西瓜がどうしたの?」
「はい」
伊平は何か口篭っているので、お米も少し焦れったくなったらしい、行燈の前を離れて縁側へ出て来た。
「それでお前、湯島へは行って来たの?」
「いえ、湯島のお屋敷へは参りませんでした」
「なぜ行かないんだえ?」
訳を知らないお米はいよいよ焦れて、自分の眼の前に置いてある風呂敷包みに手をかけた。
「実はその西瓜が……」と、伊平は同じ様な事を繰返していた。
「だからさ。この西瓜がどうしたというんだよ?」
言いながらお米は念の為に風呂敷を開けると、忽ちに驚きの声を上げた。
伊平も叫んだ。
西瓜は再び女の生首と変っていたのである。
「何だってお前、こんな物持って来たのだえ!」
流石は武家の女房である。
お米は一旦驚きながらも、手早くその怪しい物に風呂敷を被せて、上からしっかりと押え付けてしまった。
その騒ぎを聞き付けて、主人も客も座敷から出て来た。
「どうした、どうした!」
「伊平が人間の生首を持って帰りました!」
「人間の生首……。飛んでもない奴だ。訳を言え!」と、八太郎も驚いて詮議した。
こうなれば躊躇しても居られない。
元々それを報告する積りで帰って来たのであるから、伊平は下谷の辻番所における一切の出来事を訴えると、八太郎は勿論、客の池部も眉を寄せた。
「何かの見違いだろう。そんな事が有るものか!」
八太郎は妻を押し退けて、自らその風呂敷を刎ね除けて見ると、それは人間の首ではなかった。
八太郎は笑い出した。
「それ見ろ!これがどうして人間の首だ!」
しかしお米の眼にも、伊平の眼にも、確かにそれが人間の生首に見えたと言うので、八太郎は行燈を縁側に持ち出して来て、池部と一緒によく検めてみたが、それは間違い無く西瓜であるので、八太郎はまた笑った。
しかし池部は笑わなかった。
「伊平は前の一件が有るので、再び同じ幻を見たとも言えようが、何にも知らない御新造までが人間の生首を見たというのは如何にも不思議だ。これは強ちに辻番人の粗忽や伊平の臆病とばかりは言われまい。念の為にその西瓜を断ち割って見てはどうだな?」
これには八太郎も異存は無かった。
然らば試みに割ってみようと言うので、彼は刀の小柄を突き立ててきりきりと引き回すと、西瓜は真っ紅な口を開いて、一匹の青い蛙を吐き出した。
蛙は跳ね上がる暇も無しに、八太郎の小柄に突き透された。
「こいつの仕業かな」と、池部は言った。
八太郎は西瓜を真っ二つにして、更にその中を探ってみると、幾筋かの髪の毛が発見された。
長い髪は蛙の後足の一本に強く絡み付いて、あたかも彼を繋いでいるかの様にも見られた。
髪の毛は女の物であるらしかった。
西瓜が醜い女の顔に見えたのも、それから何かの糸を引いているのかも知れないと思うと、八太郎ももう笑っては居られなくなった。
お米の顔は蒼くなった。
伊平は震え出した。
「伊平!直ぐに八百屋へ行って、この西瓜の出所を詮議して来い!」と、主人は命令した。
伊平は直ぐに出て行ったが、暫くして帰って来て、主人夫婦と客の前でこういう報告をした。
八百屋の説明によると、その西瓜は青物市場から仕入れて来たのではない。
柳島に近い所に住んでいる小原数馬(おはらかずま)と言う旗本屋敷から受取った物である。
小原は小普請入りの無役といい、屋敷の構えも広いので、裏の空き地一円を畑にして色々の野菜を作っているが、それは自分の屋敷内の食料ばかりでなく、一種の内職のようにして近所の商人にも払い下げている。
なんといっても殿様の道楽仕事であるから、市場で仕入れて来るよりも割安であるのを幸いに、ずるい商人らはお世辞で誤魔化して、相場外れの廉値で引取って来るのを例としていた。
八百屋の亭主は伊平の話を聴いて顔を顰めた。
「実は小原様のお屋敷から頂く野菜は、元値も廉し、品も好し、誠に結構なのですが、時々お得意先からお叱言が来るので困ります。現にこの間も南瓜から小さい蛇が出たと言ってお得意から叱られましたが、それもやっぱり小原様から頂いて来たのでした。ところで、今度はお前さんのお屋敷へ納めた西瓜から蛙が出るとは……。尤もあの辺には蛇や蛙が沢山棲んでいますから、自然その卵がどうかして入り込んで南瓜や西瓜の中で育ったのでしょうな。しかし西瓜が女の生首に見えたなぞは少し念入り過ぎる。伊平さんも真面目そうな顔をしていながら、人を驚かすのが中々巧いね!ははははは!」
八百屋の亭主も西瓜から蛙の飛び出した事だけは信用したらしかったが、それが女の首に見えた事は伊平の冗談と認めて、全く取合わない。
伊平はそれが紛れもない事実である事を主張したが、口下手の彼はとうとう相手に言い負かされて、結局不得要領で引揚げて来たのである。
しかし、かの西瓜が小原数馬の畑から生れた事だけは明白になった。
同じ屋敷の南瓜から蛇の出た事も判った。
しかしその蛇にも女の髪の毛が絡んでいたかどうかは、伊平は聞き洩らした。
もうこれ以上は詮議の仕様も無いので、八太郎はその西瓜を細かく切り刻んで、裏手のごみ溜めに捨てさせた。
明くる朝、試しにごみ溜めを覗いて見ると、西瓜は皮ばかり残っていて、紅い身は水の様に融けてしまったらしい。
青い蛙の死骸も見えなかった。
事件はそれで済んだのであるが、八太郎はまだ何だか気になるので、二、三日過ぎた後、下谷の方角へ出向いたついでに、かの辻番所に立寄って聞き合せると、番人らは確かにその事実の有った事を認めた。
そうして、自分達は今でも不審に思っていると言った。
それにしても、なぜ最初に伊平を怪しんで呼び止めたかと訊くと、唯何となくその挙動が不審であったからであると彼等は答えた。
江戸馴れない山出しの中間が道に迷ってうろうろしていたので、挙動不審と認められたのも無理は無いと八太郎は思った。
しかし段々話している内に、番人の一人は更にこんな事を洩らした。
「まだそればかりでなく、あの中間の抱えている風呂敷包みから生血が滴っている様にも見えたので、いよいよ不審と認めて詮議致したので御座るが、それも拙者の見間違いで、近頃面目も御座らぬ」
それを聞かされて、八太郎はまた眉を顰めたが、その場はいい加減に挨拶して別れた。
その西瓜から蛙や髪の毛の現れた事など、彼は一切語らなかった。
稲城の屋敷にはその後別に変った事も無かった。
八太郎は家内の者を戒めて、その一件を他言させなかったが、この記事の筆者は或る時かの池部郷助からその話を洩れ聞いて、稲城の主人にそれを問質すと、八太郎は全くその通りであると迷惑そうに答えた。
それはこの出来事が有ってから四月程の後の事で、中間の伊平は無事に奉公して居た。
彼は見るからに実体な男であった。
その西瓜を作り出した小原の家については、筆者は何にも知らなかったので、それを再び稲城に訊き質すと、八太郎も考えながら答えた。
「近所でありながら拙者もよくは存じません。しかし何やら悪い噂の有る屋敷だそうで御座る」
それがどんな噂であるかは、彼も明らかに説明しなかったそうである。
筆者も押し返しては詮議しなかったらしく、原文の記事はそれで終っていた。
…この話は所謂オムニバスに近い形式で、西瓜に纏わる怪談が2つ紹介される。
そして最後はM君の友人である倉沢君自身に怪異が訪れ、幕が下ろされるのだが、一夜に一話という百物語のルールに則り、此処で切らせて貰った。
続きがどうしても気になるなら、「岡本綺堂 西瓜」で検索してみれば良いだろう。
怪談を聞いて、改めて西瓜を見ると…形、大きさ、中の鮮烈な赤まで、異様に思えて来るじゃないか。
正に夏に食べるには相応しい果物だね。
おや、どうして食べるのを止めるんだい?
先刻まで美味しいと言って、口の周りを赤く染めてまで、噛り付いていたのに…。
隣の席の人の西瓜を御覧よ、赤い身を残らず綺麗に喰い切っている。
……そういえば隣の人は何処へ消えたんだい?
貴殿と一緒に此処へ来て、一緒に西瓜を齧ってた筈だが…。
まぁ、盆の夜だ…特に不思議でもないがね。
…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。
……有難う。
それでは、どうか気を付けて帰ってくれ給え。
――いいかい?
夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。
では御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
参考、『異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集、其ノ二 ―西瓜―(原書房、刊)』。
毎日口癖の様に「暑い」と言っているだろうが、今夜は格別に蒸すねぇ。
暑気払いになればと思って、西瓜を冷やしておいたよ。
この、人間の首程も有る大きさ、立派なものだろう?
と或る畑で収穫した物を数個譲り受けてね、多分此処に居る人数分に分けられると思うよ。
今包丁で切るから、ちょっと待ち給え。
美味しいかい?
ああ、それは良かった。
夏といえば、こいつに齧り付くのが風流、赤い汁が迸って、まるで血の様じゃないか。
…不謹慎な表現、済まなかったね。
口直しに今夜は、西瓜に纏わる怪談を紹介しよう。
この百物語の会の席ではお馴染の岡本綺堂の作で、題はずばり「西瓜」。
或る年の夏休みに、静岡の実家に帰った倉沢と言う友人を訪ねて、半月あまり逗留した「M君」が語ってくれた話だそうだ。
倉沢の家は旧幕府の旗本で、維新の際にその祖父という人が旧主君の供をして、静岡へ無禄移住をした。
平生から用心の良い人で、多少の蓄財も有ったのを幸いに、幾らかの田地を買って帰農したが、後には茶を作るようにもなって、士族の商法が頗る成功したらしく、今の主人即ち倉沢の父の代になると大勢の雇人を使って、中々盛んにやっているように見えた。
祖父という人は既に世を去って、離れ座敷の隠居所は殆ど空家同様になっているので、私は逗留中そこに寝起きをしていた。
「母屋よりも此処の方が静かで良いよ」と倉沢は言ったが、実際此処は閑静で居心地の良い八畳の間であった。
しかしその逗留の間に三日程雨が降り続いた事も有り、私はやや退屈を感じなくもなかった。
勿論、倉沢は母屋から毎日出張って来て、話し相手になってくれるのではあるが、久し振りに出逢った友達というのではなし、東京の同じ学校で毎日顔を合せているのであるから、今さら特別に珍しい話題が湧き出して来よう筈も無い。
その退屈が段々に嵩じて来た三日目の夕方に、倉沢は袴羽織という扮装で私の座敷へ顔を出した。
彼は気の毒そうに言った。
「実は町に居る親戚の家より、老人が急病で死んだという通知が来たので、これからちょっと行って来なければならない。都合によると、今夜はそこへ泊まり込む事になるやも知れぬ。君一人で寂しいだろうが、まあ我慢してくれたまえ。この間話した事の有る写本だがね。家の者に言いつけて土蔵の中から捜し出させて置いたから、退屈凌ぎに読んで見たまえ。格別面白い事も有るまいとは思うが……」
彼は古びた写本七冊を私の前に置いた。
「この間も話した通り、僕の家の六代前の主人は享保から宝暦の頃に生きて居たのだそうで、雅号を杏雨(きょうう)と言って俳句などもやったらしい。その杏雨が何くれとなく書き集めて置いた一種の随筆がこの七冊で、元々随筆の事だから何処まで書けば良いという事もないだろうが、とにかくまだこれだけでは完結しないとみえて、題号さえも付けてないのだ。維新の際に祖父も大抵の物は売り払ってしまったのだが、これだけはまず残して置いた。勿論、売るといったところで買い手も無く、さりとて紙屑屋へ売るのも何だか惜しいような気がするので、保存するという意味でもなしに自然保存されて、今日まで無事であったという訳だが、古葛篭の底に押し込まれたままで誰も読んだ者も無かったのを、先頃の土用干しの時に、僕が測らず発見したのだ」
「それでも二足三文で紙屑屋なんぞに売られてしまわなくって好かったね。今日になってみれば頗る貴重な書き物が維新当時に皆反古にされてしまったからね」と、私は所々に虫喰いの有る古写本を眺めながら言った。
「なに、それほど貴重な物ではないに決まっているがね。君はそんな物に趣味を持っているようだから、まあ読んでみて、何か面白い事でも有ったら僕にも話してくれたまえ」
こう言って倉沢は雨の中を出て行った。
彼の言う通り、私は若いくせにこんな物に趣味を持っていて、東京に居る間も本郷や神田の古本屋漁りをしているので、一種の好奇心も手伝って直ぐにその古本を引き寄せて見ると、成る程二百年も前の物かも知れない。黴臭い様な紙の匂いが何だか昔懐かしい様にも感じられた。一冊は半紙二十枚綴りで、七冊百四十枚、それに御家流で丹念に細かく書かれているのであるから、全部を読了するには中々の努力を要すると、私も始めから覚悟して、今日は何時もよりも早く電燈のスイッチを捻って、小さい卓袱台の上でその第一冊から読み始めた。
随筆と言うか、覚え帳と言うか、その中には種々雑多の事件が書き込まれていて、和歌や俳諧等の風流な記事が有るかと思えば、公辺の用務の記録も有る。
題号さえも付けてない位で、本人は勿論世間に発表する積りは無かったのであろうが、それにしても余りに乱雑な体裁だと思いながら、根気良く読み続けている内に「深川仇討の事」「湯島女殺しの事」等と言うような、その当時の三面記事らしき物を発見した。
それに興味を誘われて、更に読み続けて行くと、「稲城家の怪事」という標題の記事を又見付けた。
それにはこういう奇怪の事実が記されてあった。
原文には単に今年の七月初めと書いてあるが、その年の二月、行徳(ぎょうとく)の浜に鯨が流れ寄ったという記事から想像すると、それは享保十九年の出来事であるらしい。
日も暮れ六つに近い頃に、1人の中間と思しき若い男が風呂敷包みを抱えて、下谷御徒町辺を通りかかった。
そこには某藩侯の辻番所が在る。
これも単に某藩侯とのみ記してあるが、下谷御徒町というからは、恐らく立花家の辻番所であろう。
その辻番所の前を通りかかると、番人の1人がかの中間に眼を付けて呼び止めた。
「これ、待て!」
由来、武家の辻番所には「生きた親爺の捨て所」と川柳に嘲られるような、半耄碌の老人が詰めて居るものだが、此処には「筋骨逞しき血気の若侍のみ詰め居たれば、世の人常に恐れをなしけり」と原文に書いてある。
その血気の若侍に呼び止められて、中間は大人しく立ち止ると、番人は更に訊いた。
「おまえの持っている物は何だ?」
「これは西瓜で御座ります」
「開けて見せろ」
中間は素直に風呂敷を開けると、その中から女の生首が出た。
番人は声を荒くして詰った。
「これが西瓜か!」
中間は真っ蒼になって、口も利けなくなって、唯ぼんやりと突っ立っていると、他の番人も続いて出て来て、直ぐに彼を捻じ伏せて縄をかけてしまった。
三人の番人はその首を検めると、それは二十七八か、三十前後の色こそ白いが醜い女で、眉も剃らず、歯も染めていないのを見ると、人妻でない事は明らかであった。
ただ不思議なのは、その首の切口から血の滴っていない事であるが、それは決して土人形の首ではなく、確かに人間の生首である。
番人らは一応その首を検めた上で、再び元の風呂敷に包み、更にその首の持参者の詮議に取りかかった。
「おまえは一体何処の者だ?」
「本所の者で御座ります」
「武家奉公をする者か?」
それからそれへと厳重の詮議に対して、中間は震えながら答えた。
彼はまだ江戸馴れない者であるらしく、殊に異常の恐怖に襲われて半分酔っ払いの様に呂律が回らず居たが、それでも尋ねられる事に対しては皆、一通りの答弁をしたのである。
彼は本所の御米蔵の側に小屋敷を持っている稲城八太郎の奉公人で、その名を伊平といい、上総の八幡在から三月前に出て来た者であった。
したがって、江戸の勝手も方角もまだよく判らない。
今日は主人の言い付けで、湯島の親類へ七夕に供える西瓜を持って行く途中、道を誤って御徒町の方角へ迷い込んで来たものであるという事が判った。
「湯島の屋敷へは今日初めて参るものか?」と、番人は訊いた。
「いえ、今日でもう四度目で御座りますから、なんぼ江戸馴れないと申しても、道に迷う筈は無いので御座りますが……」と、中間は自分ながら不思議そうに小首を傾げていた。
「主人の手紙でも持っているか?」
「御親類の事で御座りますから、別にお手紙は御座りません。ただ口上だけで御座ります」
「その西瓜というのはお前も検めて来たのか?」
「お出入りの八百屋へ参りまして、私が自分で取って来て、旦那様や御新造様のお目にかけ、それで宜しいと言うので風呂敷に包んで参ったので御座りますから……」と、彼は再び首を傾げた。
「それが途中でどうして人間の首に変りましたか。まるで夢の様で御座ります。まさか狐に化かされたのでも御座りますまいが……。何がどうしたのか一向に解りません」
暮れ六つといっても、この頃の日は長いので往来は明るい。
しかも江戸の真ん中で狐に化かされるなどという事の有るべき筈がない。
さりとて田舎者丸出しで見るから正直そうなこの若い中間が嘘偽りを申立てようとも思われないので、番人らも共に首を傾げた。
第一、何かの子細が有って人間の生首を持参するならば、夜中密かに持ち運ぶべきであろう。
暮れ方といっても夕日の光りのまだ消え残っている時刻に、平気でそれを抱え歩いているのは、あまりに大胆過ぎているではないか。
もし又、彼の申立てを真実とすれば、近頃奇怪千万の出来事で、西瓜が人間の生首に変るなどとは、どう考えても判断の付かない事ではないか。
番人らも実に思案に惑った。
「どうも不思議だな。もう一度よく検めてみよう」
彼らは念の為に、再びその風呂敷を開けて見て、一斉にあっと言った。
中間も思わず声を上げた。
風呂敷に包まれた女の生首は元の西瓜に変っているのである。
叩いてみても、転がして見ても、それは確かに青い西瓜である。
西瓜が生首となり、更に西瓜となり、さながら魔術師に操られたような不思議を見せたのであるから、諸人の驚かされるのも無理はない、それも一人の眼ならば見損じという事も有ろうが、若い侍が三人、若い中間が一人、その四人の眼に生首と見えた物が忽ち西瓜に変るなどとは、まったく狐に化かされたとでも言うの他は有るまい。
かれらは徒らに呆れた顔を見合せて、暫くは溜息を吐いて居るばかりであった。
伊平は無事に釈された。
如何に評議したところで、結局どうにも解決の付けようが無いので、武勇を誇るこの辻番所の若侍らも伊平をそのまま釈放してしまった。
たといその間に如何なる不思議が有ったにしても、西瓜が元の西瓜である以上、彼らはその持参者の申立てを信用して、無事に済ませるより他は無かったのである。
伊平は早々に此処を立去った。
表へ出て若い中間はほっとした。
彼は疑問の西瓜を抱えて、湯島の方へ急いで行きかけたが、小半町程で又立ち止った。
これをこのまま先方へ届けて好いか悪いかと、彼はふと考え付いたのである。
どう考えても奇怪千万なこの西瓜を黙って置いて来るのは何だか気懸りである。
さりとて、途中でそれが生首に化けましたなどと正直に言うわけにもいくまい。
これは一先ず自分の屋敷へ引っ返して、主人に一応その次第を訴えて、何かの指図を仰ぐ方が無事であろうと、彼は俄かに足の方角を変えて、本所の屋敷へ戻る事にした。
辻番所でも相当に暇取ったので、長い両国橋を渡って御米蔵に近い稲城の屋敷へ帰り着いた頃には、日もすっかり暮れ切っていた。
稲城は小身の御家人で、主人の八太郎夫婦と下女一人、僕一人の四人暮らしである。
折りから主人の朋輩の池部郷助(いけべごうすけ)と言うのが来合せて、奥の八畳の縁先で涼みながら話して居た。
狭い屋敷であるから、伊平は裏口からずっと通って、茶の間になっている六畳の縁の前に立つと、御新造のお米(よね)は透かし視て声をかけた。
「おや、伊平か。早かったね」
「はい」
「なんだか息を切っているようだが、途中でどうかしたのかえ?」
「はい。どうも途中で飛んだ事が御座りまして……」と、伊平は気味の悪い持ち物を縁側に降ろした。
「実はこの西瓜が……」
「その西瓜がどうしたの?」
「はい」
伊平は何か口篭っているので、お米も少し焦れったくなったらしい、行燈の前を離れて縁側へ出て来た。
「それでお前、湯島へは行って来たの?」
「いえ、湯島のお屋敷へは参りませんでした」
「なぜ行かないんだえ?」
訳を知らないお米はいよいよ焦れて、自分の眼の前に置いてある風呂敷包みに手をかけた。
「実はその西瓜が……」と、伊平は同じ様な事を繰返していた。
「だからさ。この西瓜がどうしたというんだよ?」
言いながらお米は念の為に風呂敷を開けると、忽ちに驚きの声を上げた。
伊平も叫んだ。
西瓜は再び女の生首と変っていたのである。
「何だってお前、こんな物持って来たのだえ!」
流石は武家の女房である。
お米は一旦驚きながらも、手早くその怪しい物に風呂敷を被せて、上からしっかりと押え付けてしまった。
その騒ぎを聞き付けて、主人も客も座敷から出て来た。
「どうした、どうした!」
「伊平が人間の生首を持って帰りました!」
「人間の生首……。飛んでもない奴だ。訳を言え!」と、八太郎も驚いて詮議した。
こうなれば躊躇しても居られない。
元々それを報告する積りで帰って来たのであるから、伊平は下谷の辻番所における一切の出来事を訴えると、八太郎は勿論、客の池部も眉を寄せた。
「何かの見違いだろう。そんな事が有るものか!」
八太郎は妻を押し退けて、自らその風呂敷を刎ね除けて見ると、それは人間の首ではなかった。
八太郎は笑い出した。
「それ見ろ!これがどうして人間の首だ!」
しかしお米の眼にも、伊平の眼にも、確かにそれが人間の生首に見えたと言うので、八太郎は行燈を縁側に持ち出して来て、池部と一緒によく検めてみたが、それは間違い無く西瓜であるので、八太郎はまた笑った。
しかし池部は笑わなかった。
「伊平は前の一件が有るので、再び同じ幻を見たとも言えようが、何にも知らない御新造までが人間の生首を見たというのは如何にも不思議だ。これは強ちに辻番人の粗忽や伊平の臆病とばかりは言われまい。念の為にその西瓜を断ち割って見てはどうだな?」
これには八太郎も異存は無かった。
然らば試みに割ってみようと言うので、彼は刀の小柄を突き立ててきりきりと引き回すと、西瓜は真っ紅な口を開いて、一匹の青い蛙を吐き出した。
蛙は跳ね上がる暇も無しに、八太郎の小柄に突き透された。
「こいつの仕業かな」と、池部は言った。
八太郎は西瓜を真っ二つにして、更にその中を探ってみると、幾筋かの髪の毛が発見された。
長い髪は蛙の後足の一本に強く絡み付いて、あたかも彼を繋いでいるかの様にも見られた。
髪の毛は女の物であるらしかった。
西瓜が醜い女の顔に見えたのも、それから何かの糸を引いているのかも知れないと思うと、八太郎ももう笑っては居られなくなった。
お米の顔は蒼くなった。
伊平は震え出した。
「伊平!直ぐに八百屋へ行って、この西瓜の出所を詮議して来い!」と、主人は命令した。
伊平は直ぐに出て行ったが、暫くして帰って来て、主人夫婦と客の前でこういう報告をした。
八百屋の説明によると、その西瓜は青物市場から仕入れて来たのではない。
柳島に近い所に住んでいる小原数馬(おはらかずま)と言う旗本屋敷から受取った物である。
小原は小普請入りの無役といい、屋敷の構えも広いので、裏の空き地一円を畑にして色々の野菜を作っているが、それは自分の屋敷内の食料ばかりでなく、一種の内職のようにして近所の商人にも払い下げている。
なんといっても殿様の道楽仕事であるから、市場で仕入れて来るよりも割安であるのを幸いに、ずるい商人らはお世辞で誤魔化して、相場外れの廉値で引取って来るのを例としていた。
八百屋の亭主は伊平の話を聴いて顔を顰めた。
「実は小原様のお屋敷から頂く野菜は、元値も廉し、品も好し、誠に結構なのですが、時々お得意先からお叱言が来るので困ります。現にこの間も南瓜から小さい蛇が出たと言ってお得意から叱られましたが、それもやっぱり小原様から頂いて来たのでした。ところで、今度はお前さんのお屋敷へ納めた西瓜から蛙が出るとは……。尤もあの辺には蛇や蛙が沢山棲んでいますから、自然その卵がどうかして入り込んで南瓜や西瓜の中で育ったのでしょうな。しかし西瓜が女の生首に見えたなぞは少し念入り過ぎる。伊平さんも真面目そうな顔をしていながら、人を驚かすのが中々巧いね!ははははは!」
八百屋の亭主も西瓜から蛙の飛び出した事だけは信用したらしかったが、それが女の首に見えた事は伊平の冗談と認めて、全く取合わない。
伊平はそれが紛れもない事実である事を主張したが、口下手の彼はとうとう相手に言い負かされて、結局不得要領で引揚げて来たのである。
しかし、かの西瓜が小原数馬の畑から生れた事だけは明白になった。
同じ屋敷の南瓜から蛇の出た事も判った。
しかしその蛇にも女の髪の毛が絡んでいたかどうかは、伊平は聞き洩らした。
もうこれ以上は詮議の仕様も無いので、八太郎はその西瓜を細かく切り刻んで、裏手のごみ溜めに捨てさせた。
明くる朝、試しにごみ溜めを覗いて見ると、西瓜は皮ばかり残っていて、紅い身は水の様に融けてしまったらしい。
青い蛙の死骸も見えなかった。
事件はそれで済んだのであるが、八太郎はまだ何だか気になるので、二、三日過ぎた後、下谷の方角へ出向いたついでに、かの辻番所に立寄って聞き合せると、番人らは確かにその事実の有った事を認めた。
そうして、自分達は今でも不審に思っていると言った。
それにしても、なぜ最初に伊平を怪しんで呼び止めたかと訊くと、唯何となくその挙動が不審であったからであると彼等は答えた。
江戸馴れない山出しの中間が道に迷ってうろうろしていたので、挙動不審と認められたのも無理は無いと八太郎は思った。
しかし段々話している内に、番人の一人は更にこんな事を洩らした。
「まだそればかりでなく、あの中間の抱えている風呂敷包みから生血が滴っている様にも見えたので、いよいよ不審と認めて詮議致したので御座るが、それも拙者の見間違いで、近頃面目も御座らぬ」
それを聞かされて、八太郎はまた眉を顰めたが、その場はいい加減に挨拶して別れた。
その西瓜から蛙や髪の毛の現れた事など、彼は一切語らなかった。
稲城の屋敷にはその後別に変った事も無かった。
八太郎は家内の者を戒めて、その一件を他言させなかったが、この記事の筆者は或る時かの池部郷助からその話を洩れ聞いて、稲城の主人にそれを問質すと、八太郎は全くその通りであると迷惑そうに答えた。
それはこの出来事が有ってから四月程の後の事で、中間の伊平は無事に奉公して居た。
彼は見るからに実体な男であった。
その西瓜を作り出した小原の家については、筆者は何にも知らなかったので、それを再び稲城に訊き質すと、八太郎も考えながら答えた。
「近所でありながら拙者もよくは存じません。しかし何やら悪い噂の有る屋敷だそうで御座る」
それがどんな噂であるかは、彼も明らかに説明しなかったそうである。
筆者も押し返しては詮議しなかったらしく、原文の記事はそれで終っていた。
…この話は所謂オムニバスに近い形式で、西瓜に纏わる怪談が2つ紹介される。
そして最後はM君の友人である倉沢君自身に怪異が訪れ、幕が下ろされるのだが、一夜に一話という百物語のルールに則り、此処で切らせて貰った。
続きがどうしても気になるなら、「岡本綺堂 西瓜」で検索してみれば良いだろう。
怪談を聞いて、改めて西瓜を見ると…形、大きさ、中の鮮烈な赤まで、異様に思えて来るじゃないか。
正に夏に食べるには相応しい果物だね。
おや、どうして食べるのを止めるんだい?
先刻まで美味しいと言って、口の周りを赤く染めてまで、噛り付いていたのに…。
隣の席の人の西瓜を御覧よ、赤い身を残らず綺麗に喰い切っている。
……そういえば隣の人は何処へ消えたんだい?
貴殿と一緒に此処へ来て、一緒に西瓜を齧ってた筈だが…。
まぁ、盆の夜だ…特に不思議でもないがね。
…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。
……有難う。
それでは、どうか気を付けて帰ってくれ給え。
――いいかい?
夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。
では御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
参考、『異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集、其ノ二 ―西瓜―(原書房、刊)』。